葦原 邦子(読み)アシハラ クニコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「葦原 邦子」の解説

葦原 邦子
アシハラ クニコ


職業
宝塚スター 女優

本名
中原 英子

旧名・旧姓
岡本

生年月日
大正1年 12月16日

出生地
兵庫県 武庫郡本庄村深江(神戸市東灘区深江)

学歴
尼崎市立高女卒

経歴
父は阪神電鉄に勤めており、三女として生まれる。尼崎市立高等女学校時代は東京音楽学校(東京芸術大学)を志望していたが、父が借金の保証人になって破産したため、昭和3年月謝がいらない上に給与までもらえる宝塚音楽歌劇学校に入学。同期に春日野八千代がいた。4年予科から本科へ進み、芸名葦原邦子に決め、花組に配属される。同年「絵踏」「エスパーダ」「春のおどり」で初舞台。6年1月「セニョリータ」の主題歌で初のレコード吹き込みをし、9月声楽専科に編入。10月「ライラック・タイム」のフランツ男爵役で注目を集め、7年1月「サルタン・バンク」の道化師ピエール役でスターとしての地位を確立。男役スターとして小夜福子とともに第一期宝塚歌劇黄金時代を築き、14年に退団するまで“アニキ”の愛称とともにトップの座を維持。この間、8年星組公演「ベルリン娘」に出演した際に初めてショートカットにし、男役のショートカットの嚆矢となった。12年声楽専科がなくなると、星組に所属した。15年画家中原淳一と結婚、二男二女をもうけた。22年東京音楽学校教授であったノタル・ジャコモに師事して再び声楽の勉強を始め、25年東京・日比谷公会堂で「葦原邦子独唱会」を開催。36年テレビドラマ「咲子さんちょっと」におふくろ役でレギュラー出演、当たり役となった。他の出演作に、舞台「アルルの女」「憂愁夫人」「ロミオとジュリエット」「マリオネット」「歌えモンパルナス」、テレビドラマ「ありがとう」「下町の女」など。著書に「わが青春の宝塚」「夫 中原淳一」「わが歌人生」「すみれ咲き愛みちて」などがある。

受賞
勲四等瑞宝章〔平成2年〕

没年月日
平成9年 3月13日 (1997年)

家族
夫=中原 淳一(画家),長男=中原 洲一(画家)

伝記
すみれ咲き愛みちて鈴木健二 お元気ですか〈8〉わが歌人生 葦原 邦子 著NHK 編葦原 邦子 著(発行元 婦人画報社日本放送出版協会国書刊行会 ’88’87’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「葦原 邦子」の解説

葦原 邦子
アシハラ クニコ

昭和・平成期の女優,宝塚スター



生年
大正1(1912)年12月16日

没年
平成9(1997)年3月13日

出生地
兵庫県武庫郡本庄村深江(現・神戸市東灘区深江)

本名
中原 英子

旧姓(旧名)
岡本

学歴〔年〕
尼崎市立高女卒

主な受賞名〔年〕
勲四等瑞宝章〔平成2年〕

経歴
昭和3年宝塚歌劇団に入団。4年「春のをどり」で初舞台を踏む。7年「サルタン・バンク」の道化師ピエール役が出世作となり、男役スターとして小夜福子とともに第一期宝塚歌劇黄金時代を築く。14年に退団するまで“アニキ”の愛称とともにトップの座を維持。15年画家・中原淳一と結婚、二男二女をもうける。戦後、テレビドラマ「咲子さんちょっと」「ありがとう」(以上TBS)「下町の女」(フジ)などで優しくおっとりした母親役を演じた。著書に「夫 中原淳一」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「葦原 邦子」の解説

葦原 邦子 (あしはら くにこ)

生年月日:1912年12月16日
昭和時代の女優;元・宝塚スター
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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