薬師寺(奈良市)(読み)やくしじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「薬師寺(奈良市)」の意味・わかりやすい解説

薬師寺(奈良市)
やくしじ

奈良市西ノ京町にある法相(ほっそう)宗の大本山。西京寺、瑠璃(るり)宮薬師寺ともいう。南都七大寺の一つ。本尊は薬師三尊。680年(天武天皇9)天武(てんむ)天皇が皇后の病気平癒を祈願して一寺の建立を発願したが、天皇が崩御したため持統(じとう)天皇、文武(もんむ)天皇が698年(文武天皇2)藤原京に完成した。710年(和銅3)平城遷都を機に薬師寺は718年(養老2)平城京へ移された。これが現在の薬師寺で、旧地(現奈良県橿原(かしはら)市)は本(もと)薬師寺とよばれ、現在、金堂、東塔、西塔などの土壇や礎石を残す。平城京では、右京の南北に五条から六条大路、東西には一坊から二坊大路に至る寺地を占め、左京の元興(がんごう)寺に次ぐ大寺であった。新都伽藍(がらん)や諸仏像が、旧地のものを移転したものか、新たに造営されたものかについて、明治以降学者の論争となっていたが、現在では新都で新造営されたとする説が有力である。造営次第は不明であるが、730年(天平2)の東塔建立ころまでには金堂も完成していたとみられ、寺域の発掘調査により、結構・規模とも本薬師寺と同じであったとされている。伽藍は、中門左右から回廊が延び、それに囲まれた結界中央に金堂、その前の左右に東塔・西塔が建ち、いわゆる薬師寺式伽藍配置をなす。

 薬師寺は創建時から勅願寺、僧綱(そうごう)の寺として南都で重きをなしたが、法相唯識(ゆいしき)の学問寺として高僧の輩出が続き、818年(弘仁9)の不動堂建立後は密教も兼学した。また、830年(天長7。一説に829年)以来厳修(ごんしゅう)されていた最勝会(さいしょうえ)は、宮中御斎会(ごさいえ)、興福寺維摩会(ゆいまえ)とともに南京三大会と称されて盛行した。

 973年(天延1)食堂(じきどう)より出火、金堂と東西両塔を残して伽藍の建物は焼失したが、40年を経て復興された。室町時代には地震、大風などの災害が相次ぎ、金堂、両塔、南大門、中門など諸堂が破損・倒壊し寺勢は衰微し、最勝会も廃された。さらに1528年(享禄1)戦火で食堂、講堂、中門、西塔、僧房を焼失、江戸時代に一部が再建・修造された。1976年(昭和51)に新金堂が、80年には西塔が再建され、創建当初の姿が復原された。

 毎年春に行われる花会式(はなえしき)(3月30日~4月5日)は、1107年(嘉承2)堀河(ほりかわ)天皇が皇后の病気平癒を祈願して造花12瓶を献じたのに始まり、いまも10種12瓶の造花で内陣を飾り、薬師悔過(けか)の作法により勤行(ごんぎょう)が営まれる。また秋には万灯会(まんどうえ)、11月13日には慈恩会(じおんね)(宗祖の忌日)が厳修される。

[里道徳雄]

文化財

東塔

創建当初の唯一の遺構。国宝。三重塔だが、各層裳階(もこし)をつけるため、六重の屋根が交互に出入りし律動感があって美しい形を示す。塔身と相輪の比率が絶妙で、水煙(すいえん)は飛雲をあしらい、天衣を長く翻して舞う飛天をかたどった4枚の金銅透彫(こんどうすかしぼ)りからなっている。

[永井信一]

金堂

1976年(昭和51)の再建。本尊薬師如来坐像(にょらいざぞう)、左右に日光菩薩(ぼさつ)・月光(がっこう)菩薩を従えた三尊形式(いずれも国宝)を安置。この鋳銅鍍金(ときん)の三尊像の制作年代については、本薬師寺からの移座説(7世紀)と、平城京で新たに造立されたとする非移座説(8世紀)があり、論争が続けられている。しかし、わが国を代表する仏像彫刻であることは両説ともかわらず、本尊の宣字形の台座の浮彫り(四神、鬼神、葡萄唐草(ぶどうからくさ)文様など)も注目される。

[永井信一]

東院堂

鎌倉時代の1285年(弘安8)の再建。国宝。堂内須弥壇(しゅみだん)上の黒漆造の厨子(ずし)に等身を上回る鋳銅製の本尊観音(かんのん)菩薩立像(聖観音(しょうかんのん)、国宝)が安置されている。像の由緒・伝来は不詳であるが、金堂本尊薬師如来三尊像と同じころの制作と考えられている。

 そのほか、絵画では数少ない天平(てんぴょう)絵画の遺品「吉祥天(きちじょうてん)像」と、平安時代(11世紀)の「慈恩大師像」が、彫刻では本寺鎮守の休岡八幡(やすみがおかはちまん)神社にあった僧形八幡神、神功(じんぐう)皇后、仲津姫命の三神像(一木造、平安初期)、そして奈良時代の画師黄文本実(えしきふみのほんじつ)が入唐(にっとう)の際模写してきたと伝えられる仏足石と仏足石歌碑が、いずれも国宝に指定されている。なお寺宝の多くは大宝蔵殿に収蔵され、毎年春・秋に日を限って特別公開される。1998年(平成10)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。奈良の文化財は東大寺など8社寺等が一括登録されている)。

[永井信一]

『高田好胤・山田法胤著『日本の寺院5 薬師寺』(1980・学生社)』『入江泰吉写真『古寺巡礼 奈良15 薬師寺』(1980・淡交社)』『田村圓澄・久野健著『全集日本の古寺13 薬師寺・唐招提寺』(1984・集英社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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