藤井 日達(読み)フジイ ニッタツ

20世紀日本人名事典 「藤井 日達」の解説

藤井 日達
フジイ ニッタツ

大正・昭和期の僧侶,平和運動家 日本山妙法寺山主。



生年
明治18(1885)年8月6日

没年
昭和60(1985)年1月9日

出生地
熊本県阿蘇郡一の宮町

学歴〔年〕
日蓮宗大学(現・立正大学)〔明治40年〕卒,京都鹿ケ谷浄土宗大学院〔明治42年〕修了

主な受賞名〔年〕
仏教伝道功労賞〔昭和49年〕,ネール国際理解賞〔昭和54年〕,スリランカ大統領平和賞〔昭和58年〕

経歴
明治36年日蓮宗法音寺で得度。日蓮宗大学卒後、浄土宗大学院、法隆寺勧学院、建仁寺禅堂などで諸宗教学を学ぶ。45年最初の焼身修行を行うなど厳しい修行ののち、33歳のとき霊夢により衆生教化を決意。大正6年皇居二重橋前でうちわ太鼓を鳴らして撃鼓宣令を行う。同年満州に開教。7年中国・遼陽市に日本山妙法寺を開創。13年静岡県田子の浦に日本最初の妙法寺を建立、以後昭和2年那須、3年熱海ほか、各地に布教道場を開設。日本をはじめ中国大陸やインドにまで布教し、ボンベイ、カルカッタに妙法寺を開く。8年インドでマハトマ・ガンジーと出会って非暴力の思想を学ぶ。12年再度中国に渡り、朝鮮で終戦を迎えて帰国。阿蘇山に入り、29年熊本花岡山に仏舎利塔を建立。一方、26年宗教者による平和憲法擁護を提唱。この後、宗教平和運動の指導者として活躍し、29年世界平和者日本会議、31年ネパールの世界仏教徒会議、33年コロンボの世界平和大会に招かれるなど日本山妙法寺の平和運動の先頭に立ち、非暴力・不殺生の教えを説いた。30年からの原水禁運動には宗派をあげて参加、黄色の僧衣にうちわ太鼓を持ち「南無妙法蓮華経」を唱えて歩く同寺僧侶の姿は、原水禁運動の一つの象徴ともなった。37年には日本宗教者平和協議会結成の中心となって活躍。またインド、スリランカほか米国や欧州での海外布教にも力を入れ、英国のフィリップ・ノエルベーカーら世界の平和運動家とも親交があった。著書に「毒鼓」「仏教と世界平和」「わが非暴力―藤井日達自伝」「わが西天開教」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「藤井 日達」の解説

藤井 日達 (ふじい にったつ)

生年月日:1885年8月6日
大正時代;昭和時代の僧侶;平和運動家。日本山妙法寺山主
1985年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android