藤原佐理(ふじわらのすけまさ)(読み)ふじわらのすけまさ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

藤原佐理(ふじわらのすけまさ)
ふじわらのすけまさ
(944―998)

平安中期の公卿(くぎょう)で、能書。「~さり」ともいう。小野道風、藤原行成(ゆきなり)とともに「三蹟(さんせき)」として書道史上に名をとどめる。その遺墨は「佐跡(させき)」とよばれて尊重された。摂関家の名門の一系に生まれたが、4歳で父に死別。関白太政大臣(だいじょうだいじん)を極めた祖父の小野宮実頼(おののみやさねより)に育てられ、その権勢後ろ盾に18歳の961年(応和1)、68歳の小野道風と同日に昇殿を許された。やがて、能書としての頭角を現し、970年(天禄1)円融(えんゆう)天皇の大嘗会(だいじょうえ)において、悠紀主基屏風(ゆきすきびょうぶ)の色紙形(しきしがた)の筆者に抜擢(ばってき)された。能書として最高の栄誉に価するこの仕事を佐理は生涯に三度までも務め、「日本第一の御手」(大鏡)といわれた。参議・従三位(じゅさんみ)に上り、991年(正暦2)には大宰大弐(だざいのだいに)となって任地に下り、翌年正三位に昇進したが、995年(長徳1)に宇佐八幡宮(はちまんぐう)との間に起こした不祥事により、その任を解かれて帰京。不遇のうちに長徳(ちょうとく)4年7月25日、55歳で世を去った。当時の記録によれば、役人に不向きな、芸術家タイプの人物であったらしい。遺墨として、道風の書風の影響が色濃い、26歳の筆になる『詩懐紙』(国宝徳島・松平家)のほか、能書佐理の面目を発揮した『離洛帖(りらくじょう)』(国宝、東京・畠山(はたけやま)記念館)や『恩命帖(おんめいじょう)』(宮内庁)などの書状が数通現存する。

松原 茂]

『小松茂美著『平安朝伝来の三蹟と白氏文集の研究』(1965・墨水書房)』

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