藤原公任(読み)ふじわらのきんとう

精選版 日本国語大辞典 「藤原公任」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐きんとう【藤原公任】

平安中期の歌人、歌学者。中古三十六歌仙の一人。関白太政大臣頼忠の子。正二位権大納言に至り、四条大納言と称された。詩歌管弦に長じ、歌壇の中心となり、有職故実にも通じていた。家集に「公任集」があり、ほか歌学書新撰髄脳」「和歌九品」、撰集・秀歌撰「拾遺抄」「和漢朗詠集」「三十六人撰」など、故実書「北山抄」、また「大般若経字抄」など多数の著作がある。康保三~長久二年(九六六‐一〇四一

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デジタル大辞泉 「藤原公任」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐きんとう〔ふぢはら‐きんたふ〕【藤原公任】

[966~1041]平安中期の歌人・歌学者。通称、四条大納言。故実に詳しく、また、漢詩・和歌・音楽にすぐれた。「和漢朗詠集」「拾遺抄」「三十六人撰」などを撰。歌論書「新撰髄脳」「和歌九品」、家集「公任集」、有職故実書「北山抄」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原公任」の意味・わかりやすい解説

藤原公任
ふじわらのきんとう
(966―1041)

平安中期の歌人、歌学者。関白太政(だいじょう)大臣頼忠(よりただ)の長男。母は代明(よあきら)親王の三女、厳子(げんし)女王。名門小野宮家の嫡子として、スタートこそ順調な官界生活であったが、政権が藤原兼家(かねいえ)、道隆(みちたか)、道長と移るにつれ、しだいに不遇をかこつようになり、道長に追従することによってかろうじて自己の政治的地位を保つありさまであった。政界での雄飛を断念した公任は、その後文学的活動に比重を移し、やがて斯界(しかい)の権威者としての地位を不動のものとする。晩年は、洛北(らくほく)の長谷(ながたに)で出家し隠棲(いんせい)の日々を送った。おもな著述に、故実書としての『北山(ほくざん)抄』、歌論書としての『和歌九品(くほん)』『新撰髄脳(しんせんずいのう)』、秀歌選としての『金玉集』『深窓秘抄』『三十六人撰』、私撰集としての『和漢朗詠(ろうえい)集』『如意宝集』『拾遺抄』などがある。なかでも余情美を重視する彼の歌論は、中世歌論の先蹤(せんしょう)をなすものとして高く評価されている。勅撰集には『拾遺集』以下に91首入集(にっしゅう)している。家集『公任集』がある。

[平田喜信]

 滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ

『小町谷照彦著『王朝の歌人 7 藤原公任』(1985・集英社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「藤原公任」の意味・わかりやすい解説

藤原公任 (ふじわらのきんとう)
生没年:966-1041(康保3-長久2)

平安中期の歌人,文人,官人。別称は四条大納言。関白頼忠の長男。母は中務卿代明親王の娘。正二位権大納言に上ったが,1024年(万寿1)官を辞し京都の北山に出家隠棲する。大堰川に漢詩,和歌,管絃の三船をうかべ,その得意とするところによって人々を乗船させたとき,藤原道長をして,公任はどの船に乗るのだろうかと言わしめるほどの才があったという〈三舟の才〉の逸話に示されるように多才博識で知られ,道長全盛時の歌壇を代表する指導者の位置を占めていた。公任の著作活動は多彩であり,自身の和歌観を述べた歌論書としては,心姿相具をいう《新撰髄脳》,実作を格づけしてみせた《和歌九品(くほん)》などがある。撰集の仕事としては,勅撰集《拾遺和歌集》の基本的骨格をなした《拾遺抄》10巻をはじめ,《金玉集》《深窓秘抄》などの私撰集があり,また《前十五番歌合》《三十人撰》などの秀歌選を作って詠歌の典型を示したが,それらを修正増補して発展させた《三十六人撰》は三十六歌仙三十六人集を生み出す基盤となった。朗詠用の和歌,漢詩を集めた《和漢朗詠集》,儀式典礼書の《北山(ほくざん)抄》もある。公任の歌を集めた家集としては《大納言公任集》があり,《小倉百人一首》には〈滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ〉(《拾遺集》巻八)という修辞の流麗な歌が入る。公任の和歌の理想は,《新撰髄脳》の〈凡そ歌は心ふかく姿きよげに,心にをかしき所あるをすぐれたりといふべし〉という点にあり,《古今集》の〈心〉〈詞〉調和の立場を発展させて〈心〉〈姿〉をいい,《和歌九品》では〈余りの心〉すなわち余情の重視を唱えはじめている。なお,公任の筆跡は高く評価され,《北山抄》稿本が唯一確実な自筆とされるほか,伝公任筆とよばれるものが数多くある。
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百科事典マイペディア 「藤原公任」の意味・わかりやすい解説

藤原公任【ふじわらのきんとう】

平安中期の歌人,文人,官人。関白頼忠の子で,諸学諸芸にすぐれ,〈三舟の才〉(漢詩・和歌・管弦)をうたわれた。家集《大納言公任集》のほか,歌論書《新撰髄脳》《和歌九品》などがあり,勅撰集《拾遺和歌集》の骨格となった《拾遺抄》,三十六歌仙三十六人集の基盤となった秀歌撰《三十六人撰》を編んでいる。また朗詠用詩歌選集《和漢朗詠集》の撰者でもある。《小倉百人一首》の歌人の一人。
→関連項目音義後拾遺和歌集新撰朗詠集

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朝日日本歴史人物事典 「藤原公任」の解説

藤原公任

没年:長久2.1.1(1041.2.4)
生年:康保3(966)
平安中期の学者,公卿。四条大納言と称される。関白頼忠の嫡男で母は醍醐天皇皇子代明親王の娘厳子。同母姉の遵子は円融天皇の皇后。蔵人頭を経て27歳で参議,寛弘6(1009)年44歳で権大納言に至った。その間に検非違使別当,皇太后宮大夫などを歴任。晩年に洛北長谷の解脱寺で出家し,この地に隠棲。その山荘跡はいまも「朗詠谷」と称されている。藤原道長と親しく,道長主催の歌合や遊興にはよく出席し和歌を披露した。なかでも長保1(999)年秋の嵯峨遊覧では大覚寺の滝がなくなったのを惜しみ,「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ」と詠じたことは有名で,藤原行成が『権記』に記すところである。和歌のみならず漢詩にもすぐれていたことは三船の故事(『大鏡』)からもわかる。この時代を代表する文化人で自信家で感情の強い人であった。公任に歌を非難されたため心痛のあまり病死した藤原長能,逆にほめられ,そのことを記した詠草を錦の袋に入れて家宝とした藤原範永など和歌に関する逸話が多い。清少納言や紫式部もその才に畏怖した。四納言のひとり。有職故実にも通じ平安時代の三大故実書のひとつ『北山抄』を著した。私選集の『拾遺抄』,歌学書の『新撰髄脳』『和歌九品』,秀歌選の『三十六人撰』など作品が多い。勅撰和歌集にも90首ほどとられている。<参考文献>小町谷照彦『藤原公任』

(朧谷寿)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原公任」の意味・わかりやすい解説

藤原公任
ふじわらのきんとう

[生]康保3(966)
[没]長久2(1041).1.1.
平安時代中期の歌人,歌学者。四条大納言と呼ばれた。関白太政大臣頼忠の子。正二位権大納言。万寿3 (1026) 年出家し,北山の長谷 (ながたに) に住んだ。作文,和歌,管弦の才を兼備し,有職故実に造詣が深く,書も巧みであった。私撰集『拾遺抄』は勅撰集の『拾遺和歌集』に大きな影響を与え,『新撰髄脳』『和歌九品 (くほん) 』の歌学書,『和漢朗詠集』『深窓秘抄』『金玉集』『三十六人撰』などの撰集,有職故実書『北山抄』などの著作がある。『拾遺集』以下の勅撰集に 90首余入集。家集『公任卿集』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原公任」の解説

藤原公任 ふじわらの-きんとう

966-1041 平安時代中期の公卿(くぎょう),歌人。
康保(こうほう)3年生まれ。藤原頼忠(よりただ)の長男。母は厳子女王。権(ごんの)大納言,正二位にいたる。一条朝の四納言のひとり。漢詩,管弦にもすぐれ,三船の才をうたわれた。「三十六人撰」「和漢朗詠集」を編集,歌論書「新撰髄脳」,有職(ゆうそく)書「北山(ほくざん)抄」などの著作がある。長久2年1月1日死去。76歳。通称は四条大納言。家集に「公任集」。
【格言など】滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ(「小倉百人一首」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藤原公任」の解説

藤原公任
ふじわらのきんとう

966~1041.1.1

平安中期の公卿・歌人・文人。通称は四条大納言。関白頼忠の子。母は代明(よしあきら)親王の女厳子女王。子に定頼ら。正二位大納言に至る。和歌・漢詩・管弦に通じた。私家集「拾遺抄」「金玉集」,秀歌撰「三十六人撰」,歌論書「新撰髄脳(ずいのう)」「和歌九品(わかくほん)」。ほかに「和漢朗詠集」,有職故実書「北山(ほくざん)抄」がある。中古三十六歌仙の1人。「拾遺集」以下の勅撰集に約89首入集。家集「公任集」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「藤原公任」の解説

藤原公任
ふじわらのきんとう

966〜1041
平安中期の公卿・歌人
関白頼忠の子。別称四条大納言。参議。詩歌諸芸に通じ,四納言の一人に数えられる。有職故実書『北山抄 (ほくざんしよう) 』,歌学書『新撰髄脳 (しんせんずいのう) 』を著し,ほかに『和漢朗詠集』『拾遺和歌集』を撰んだ。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原公任の言及

【赤染衛門】より

…家集《赤染衛門集》を残し,《栄華(花)物語》前編の作者にも擬されている。良妻賢母型の女で,匡衡が中納言を辞そうとしていた藤原公任に上表文の執筆を頼まれた際,公任の誇り高い性格に注目して,先祖の高貴さと現在の沈淪の様を記すよう助言し,その上表文が公任を喜ばせた話(《袋草紙》)や,息子の挙周が重病にかかったおりに,住吉に詣で〈代らむと思ふ命は惜しからでさても別れむほどぞ悲しき〉と詠んで神の感応を得て平癒させたという話(《今昔物語集》)が伝わっている。【上野 理】。…

【歌論】より

…歌合のこうした要請から,〈歌論〉は隆盛に向かい,精密化されていったのである。まず,10世紀末から11世紀前半に活躍した藤原公任の著作《新撰髄脳(しんせんずいのう)》と《和歌九品(わかくほん)》がある。〈凡そ歌は心深く,姿清げにて,心にをかしきところあるをすぐれたりといふべし〉(《新撰髄脳》),〈詞たへにして余りの心さへあるなり〉(《和歌九品》)と秀歌の条件が記されているとおり,〈心〉と〈言葉〉の調和を重視しつつ,漠然とながら,余情という一つの価値規準への回路を開き,心詞の関係に歴史的方向性を与えたのであった。…

【三十六歌仙】より

藤原公任による歌合形式の秀歌撰《三十六人撰》にもとづく36人の代表歌人をいう。柿本人麻呂,紀貫之,凡河内躬恒(おおしこうちのみつね),伊勢,大伴家持,山部赤人,在原業平,僧正遍昭,素性法師,紀友則,猿丸大夫,小野小町,藤原兼輔,藤原朝忠,藤原敦忠,藤原高光,源公忠,壬生忠岑,斎宮女御,大中臣頼基,藤原敏行,源重之,源宗于(むねゆき),源信明,藤原清正(きよただ),源順,藤原興風,清原元輔,坂上是則,藤原元真(もとざね),小大君,藤原仲文,大中臣能宣,壬生忠見,平兼盛,中務(なかつかさ)である。…

【拾遺抄】より

…平安時代の私撰和歌集。成立は長徳年間(995‐999)ころ,藤原公任撰か。流布本系の島根大学本によれば,春(55),夏(32),秋(47),冬(32),賀(31),別(34),恋上下(148),雑上下(192)の計10巻,571首。…

【新撰髄脳】より

…11世紀初頭,和歌の権威藤原公任(きんとう)が書いた歌論書。〈凡(およ)そ歌は心深く姿きよげに心にをかしき所あるをすぐれたりといふべし〉という秀歌理念を掲げ,秀歌例を引いたのち,歌病(かへい)論,用詞論,本歌取り論などを解説する。…

【北山抄】より

…10巻より成る。権大納言藤原公任(きんとう)の著述で,11世紀初頭の成立と考えられる。書名は,公任が晩年隠棲した京都・北山の地名による。…

【朗詠】より

催馬楽(さいばら)に比べると拍節も定かではなく,むしろ,ゆるやかに流れるフシのみやびやかさを鑑賞すべく考案されたもののようである。宇多天皇の孫にあたる源雅信(920‐993)がそのうたいぶりのスタイルを定め,一派を確立したと伝えられており,その後,雅信を流祖とする源家(げんけ)と,《和漢朗詠集》《新撰朗詠集》の撰者藤原公任,藤原基俊などの流派である藤家(とうけ)の2流により,それぞれのうたいぶりや譜本を伝えた。これらの流儀はさらにうたいものを伝える堂上公家の系統である綾小路(あやのこうじ)家持明院家などに受け継がれ,これらの家に伝わる譜本に基づいて1876年に《嘉辰》《春過》《徳是(とくはこれ)》《東岸》《池冷(いけすずし)》《暁梁王》《紅葉(こうよう)》の7曲が,さらに88年に《二星(じせい)》《新豊》《松根》《九夏》《一声》《泰山》《花十苑》の7曲が宮内庁楽部の選定曲とされ,別に《十方(じつぽう)》を加えて,現在の宮内庁楽部のレパートリーとされている。…

【和歌九品】より

…11世紀初頭に書かれた藤原公任(きんとう)の歌論書。公任の理想とする秀歌を,極楽浄土の九等の区別にならって上品上から下品下まで9段階に分類し,例歌をあげて簡潔に説明を加える。…

※「藤原公任」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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