藤原公光(読み)ふじわらのきんみつ

朝日日本歴史人物事典 「藤原公光」の解説

藤原公光

没年治承2.1.12(1178.2.1)
生年大治5(1130)
平安末期の公卿,歌人。権大納言藤原季成と民部卿藤原顕頼の娘の子。同母姉妹,高倉三位成子は後白河上皇との間に守覚法親王,以仁王,式子内親王,休子内親王らを生む。その縁もあり後白河上皇に近侍し,左衛門督,従二位まで順調に上るが,仁安1(1166)年突然解官される。前年末に甥の以仁王が出家せずに元服したことが,当時上皇寵愛を受け,皇子(のちの高倉天皇)を生んだ建春門院滋子の恨みを買ったのかとも思われるが不詳。以後復官なきままに病没した。管絃,歌謡,漢詩などにも巧みだが,『歌仙落書』には当代歌人のひとりとして名を連ね,『千載和歌集』などにも入集。

(櫻井陽子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原公光」の解説

藤原公光 ふじわらの-きんみつ

1130-1178 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
大治(だいじ)5年生まれ。保元(ほうげん)3年参議,永暦(えいりゃく)元年権(ごんの)中納言検非違使(けびいし)別当や左衛門督(かみ)をかねた。従二位。永万2年突然官職を解かれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に8首とられている。治承(じしょう)2年1月12日死去。49歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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