藤原師実(読み)ふじわらのもろざね

精選版 日本国語大辞典 「藤原師実」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐もろざね【藤原師実】

平安末期の公卿。摂政関白。父は頼通。母は種成の養女祇子。通称京極殿大殿。法号法覚。叔父教通の死後、関白太政大臣となる。病で出家。歌道・諸芸に秀でた。日記「京極関白記」、歌集に「京極前関白集」がある。長久三~康和三年(一〇四二‐一一〇一

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百科事典マイペディア 「藤原師実」の意味・わかりやすい解説

藤原師実【ふじわらのもろざね】

平安後期高官藤原頼通の子,母は藤原祇子。京極殿ともいう。1069年左大臣,1075年関白氏長者となる。源師房女麗子を室とし,師房孫賢子を養女とするなど,村上源氏との結びつきを強め,賢子は白河天皇中宮として善仁親王(堀河天皇)の生母となった。1086年堀河天皇の即位とともに摂政となる。1088年太政大臣(翌年辞任),1090年関白となる。日記《京極関白記》は大部分逸失
→関連項目木幡藤原為房藤原師通

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原師実」の意味・わかりやすい解説

藤原師実
ふじわらのもろざね
(1042―1101)

平安後期の公卿(くぎょう)。摂政(せっしょう)頼通(よりみち)の三男。母は因幡守(いなばのかみ)藤原種成(たねしげ)の女(むすめ)祇子(きし)。1055年(天喜3)従三位(じゅさんみ)となり、69年(延久1)左大臣、75年(承保2)叔父教通(のりみち)の死去により白河(しらかわ)天皇の関白となる。86年(応徳3)養女賢子の産んだ堀河(ほりかわ)天皇の即位で摂政(せっしょう)となり、88年(寛治2)太政(だいじょう)大臣、90年に摂政から関白にかわる。94年(嘉保1)長男師通(もろみち)に関白を譲り、1101年(康和3)正月病気のため宇治(うじ)の別荘で出家し(法名法覚)、2月13日没した。京極殿(きょうごくどの)、後宇治殿(のちのうじどの)とよばれた。摂関の時期、白河天皇の勢力拡大に抵抗せず、院政成立の一つの要因となった。詩歌音楽に秀(すぐ)れ、日記に『京極関白記』、家集に『京極前関白集』などがある。

[吉田早苗]

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改訂新版 世界大百科事典 「藤原師実」の意味・わかりやすい解説

藤原師実 (ふじわらのもろざね)
生没年:1042-1101(長久3-康和3)

平安後期の廷臣。関白頼通の子。京極殿ともいう。1053年(天喜1)元服後急速に昇進し,69年(延久1)左大臣。75年(承保2)叔父関白教通が没すると関白・氏長者となった。86年(応徳3)堀河天皇が即位すると摂政となった。88年(寛治2)太政大臣(翌年辞任)。90年関白となり,94年(嘉保1)関白辞任。1101年出家し没した。村上源氏の源師房女を室とし,養女賢子(師房孫,顕房の子)は白河天皇中宮として堀河天皇の生母となった。日記《京極関白記》はごく一部を伝える。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原師実」の意味・わかりやすい解説

藤原師実
ふじわらのもろざね

[生]長久3(1042).京都
[没]康和3(1101).2.13. 宇治
平安時代後期の廷臣。頼通の6男。母は因幡守藤原種成の娘祇子。養女賢子が白河天皇の中宮,堀河天皇の母となったので,承保2 (1075) 年叔父教通の死によって内覧,氏長者,次いで関白,応徳3 (86) 年堀河天皇の即位とともに摂政,寛治2 (88) 年太政大臣,同4年関白となった。同8年関白の地位を長男師通に譲り,京極殿,宇治別荘に住み,京極大殿,後宇治殿と呼ばれたが,政務には依然として強い影響力をもった。康和3 (1101) 年1月病にかかって出家,法名を法覚といった。朝儀の故実に通じ,歌道,諸芸に秀で,仏教の信仰に厚かった。日記『京極関白記』,歌集『京極前関白集』。

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朝日日本歴史人物事典 「藤原師実」の解説

藤原師実

没年:康和3.2.13(1101.3.14)
生年:長久3(1042)
平安後期の公卿。号は京極殿,後宇治殿。摂政・関白頼通と贈従二位藤原祇子の子。権中納言,権大納言,内大臣,右大臣を経て延久1(1069)年左大臣。承保2(1075)年叔父教通の死去により関白。妻源麗子の姪賢子を養女として東宮(白河天皇)妃に入れ,賢子は善仁親王(堀河天皇)を生む。堀河天皇即位(1086)後師実は摂政,太政大臣,関白となる。白河院政に協力的だった。嘉保1(1094)年嫡子師通に関白を譲り,彼の急逝後はその子忠実を後見。有職故実・詩歌・音楽・書に優れる。日記『京極関白記』,歌集『京極関白集』がある。

(吉田早苗)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原師実」の解説

藤原師実 ふじわらの-もろざね

1042-1101 平安時代中期-後期の公卿(くぎょう)。
長久3年生まれ。藤原頼通(よりみち)の3男。母は藤原祇子(ぎし)。承保(じょうほう)2年(1075)叔父藤原教通(のりみち)の没後,関白,氏長者となる。養女の賢子を白河天皇の中宮(ちゅうぐう)とし,その子堀河天皇の摂政,太政大臣,関白を歴任。従一位。有職(ゆうそく),和歌,音楽に通じた。康和3年2月13日死去。60歳。通称は京極殿,後宇治殿。家集に「京極関白集」。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藤原師実」の解説

藤原師実
ふじわらのもろざね

1042.2.-~1101.2.13

京極殿・後宇治殿とも。平安後期の公卿。関白頼通の三男。母は藤原祇子。1056年(天喜4)非参議から権中納言となり,内大臣・右大臣・左大臣を歴任。1075年(承保2)白河天皇の関白,86年(応徳3)堀河天皇の摂政となる。88年(寛治2)太政大臣,翌年辞任。90年関白。養女賢子(源顕房の女)は白河天皇中宮として堀河天皇を生んだ。日記「京極関白記」は逸文のみ。

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