藤原菅根(読み)ふじわらのすがね

朝日日本歴史人物事典 「藤原菅根」の解説

藤原菅根

没年延喜8.10.7(908.11.3)
生年斉衡3(856)
平安前期の官人。没日には異説がある。右兵衛督良尚と菅野高年の娘の子。寛平5(893)年才能を買われ,菅原道真の推薦で東宮敦仁親王(のちの醍醐天皇)の侍読となる。『菅家文草』によれば『曲礼』『論語』『後漢書』など多数を口授したとあり,その精励ぶりに道真は従五位上に叙せられるよう奏上している。ところが延喜1(901)年1月の道真左遷事件に際しては藤原時平と結託して事を運び,また醍醐天皇を諫めようとして参内した宇多法皇を阻止して天皇に取りつがず,反道真の立場で振る舞っている。かつて庚申遊びの折,道真に頬を打たれた恨みによるという。『延喜式』の編纂に加わる一方,歌人としても知られ,その歌は『古今和歌集』に収める。寛平2年8月,祖父黒麻呂以来継承してきた上総国藻原牧,田代荘(千葉県)を父の遺志に従い興福寺に施入している。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原菅根」の解説

藤原菅根 ふじわらの-すがね

856-908 平安時代前期-中期公卿(くぎょう),学者
斉衡(さいこう)3年生まれ。南家藤原良尚の4男。母は菅野高年の娘。文章生(もんじょうしょう)の出身。蔵人頭(くろうどのとう)のとき,菅原道真の左遷に反対する宇多上皇の参内を阻止。延喜(えんぎ)8年参議となり,同年10月7日死去。53歳。贈従三位。その死は道真の祟(たた)りといわれた。醍醐(だいご)天皇の侍読をつとめ,「延喜格(きゃく)」「延喜式」編集にかかわる。

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