20世紀日本人名事典 「藤岡 市助」の解説
藤岡 市助
フジオカ イチスケ
明治期の電気工学者,実業家 東京電気社長。
- 生年
- 安政4年3月14日(1857年)
- 没年
- 大正7(1918)年3月5日
- 出生地
- 周防国岩国(山口県岩国市)
- 学歴〔年〕
- 工部大学校(東京帝大工学部)電信科〔明治14年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔明治24年〕
- 経歴
- 明治7年上京、工部省工学寮(のち工部大学校)に入学し、在学中「電信初歩」を刊行。14年工部大学校卒業後、同大学校教授補となり、のち教授、物理学・電信学を担当。17年万国電気博覧会審査員として渡米、帰国後の18年同郷の友人三吉正一が興した三吉電機工場で日本最初の白熱電灯用発電機を作製、東京麴町の内閣印刷所および銀行集会所にわが国最初の電灯をともす。19年東京電燈株式会社技師長となり、中央発電所を建設。23年三吉と共に白熱舎を興し電球製造に当たり、32年白熱舎を東京電気株式会社(東芝の前身)と改称、初代社長となった。さらに東京市街鉄道株式会社の技師長として工事に当たった。39年タングステン電球の特許権を得、アメリカのゼネラル・エレクトリック社と提携して電球を製造した。他に日本電気協会会長、岩国電気鉄道社長などを歴任。“日本のエジソン”といわれる。他の著書に「電気鉄道論集」「電信小誌」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報