藤田こん(読み)ふじた・こん

朝日日本歴史人物事典 「藤田こん」の解説

藤田こん

没年元禄11(1698)
生年:生年不詳
江戸前期の女性義民。丹波国仏主村(京都府)百姓猪兵衛妻。延宝年間(1673~81)園部藩(京都府)の苛政33カ条を巡見使へ直訴した科で追放に処されたとされる。乳呑児を背負い,一子の手を引いて巡見使の宿所に訴願し,苛政の免除内諾を得,喜び帰宅したときには乳呑児の息が絶えていたという。史実では夫猪兵衛が,寛文6(1666)年に京都所司代に訴願したが不実の訴願とされ牢舎,妻子は追放の刑に処された事件が誤り伝えられたもの。延宝4(1676)年将軍徳川家綱夫人の死により特赦を得て帰村を許された文書が存在し,それが誤伝の元となったと考えられる。

(保坂智)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤田こん」の解説

藤田こん ふじた-こん

?-1698 江戸時代前期の女性。
丹波園部(そのべ)藩(京都府)の農民猪兵衛の妻。藩の苛政(かせい)を巡閲使に直訴し,願いはききとどけられたが,入牢のうえ追放となった。延宝4年4代将軍徳川家綱夫人顕子(あきこ)女王死去の際の特赦で帰村をゆるされたという。元禄(げんろく)11年死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android