藤蔭 静枝(初代)(読み)フジカゲ シズエ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「藤蔭 静枝(初代)」の解説

藤蔭 静枝(初代)
フジカゲ シズエ


職業
日本舞踊

肩書
藤蔭流創始

本名
内田 八重

別名
前名=藤間 静枝(フジマ シズエ),後名=藤蔭 静樹(初代)(フジカゲ セイジュ)

生年月日
明治13年 10月13日

出生地
新潟県 新潟市

経歴
8歳で市川登根に舞踊の手ほどきを受け、明治31年上京、32年市川久米八の門に入り、36年川上音二郎、貞奴の芝居で初舞台。舞踊家を志し、42年2代目藤間勘右衛門に入門、43年藤間静枝の名を許された。生活のため新橋の芸妓・八重次となり、名取で歌も詠む上に美貌を兼ね備えた“文学芸者”として評判を呼ぶ。大正3年永井荷風と結婚したが、翌年離婚。6年藤蔭会を創設、「四季の山姥」などの作品を発表、その後「出雲於国」「朧の清水」「秋の調べ」などを上演、舞踊界に新風を送った。15年朝鮮、満州で公演、昭和4年にはパリ公演を行いヨーロッパに初めて日舞を紹介した。6年家元から抗議をうけ藤間姓を返上藤蔭静枝と名乗り、新舞踊の流派・藤蔭流を創始。32年門弟美代枝に静枝名を譲り静樹を名乗ったが、2世と不和となり33年藤蔭流宗家となった(のち姪が2代目を名乗る)。35年紫綬褒章、39年文化功労者、40年勲四等宝冠章を受けた。作品には他に「思凡」「落葉踊り」「蛇身厭離」「お蝶夫人」「巴里戦士のパイプ」などがある。佐佐木信綱に師事して和歌にも長じ、歌集「明けゆく空」がある。

受賞
文化功労者〔昭和39年〕 紫綬褒章〔昭和35年〕,勲四等宝冠章〔昭和40年〕 国民文芸賞〔昭和6年〕

没年月日
昭和41年 1月2日 (1966年)

家族
元夫=永井 荷風(小説家)

伝記
火の女歌舞伎―研究と批評〈40〉特集 吉田玉男舞姫物語恋と芸術への情念―人物近代女性史 福田 清人 著歌舞伎学会 編市川 雅 著瀬戸内 晴美 編(発行元 勉誠出版歌舞伎学会,雄山閣〔発売〕白水社講談社 ’09’08’90’89発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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