虎徹(読み)こてつ

精選版 日本国語大辞典 「虎徹」の意味・読み・例文・類語

こてつ【虎徹】

江戸前期の刀工。姓は長曾禰。その作品数珠(じゅず)刃と呼ばれる刃文特色とする。延宝五年(一六七七)没。

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デジタル大辞泉 「虎徹」の意味・読み・例文・類語

こてつ【虎徹】

[?~1677]江戸前期の刀工。近江おうみの人。甲冑かっちゅう師であったが、江戸に出て作刀専念数珠じゅず刃とよばれる刃文の作風を代表し、切れ味は鋭く、新刀第一の名工といわれた。長曽禰興里ながそねおきさと入道虎徹。

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改訂新版 世界大百科事典 「虎徹」の意味・わかりやすい解説

虎徹 (こてつ)
生没年:1605-77?(慶長10-延宝5?)

大坂井上真改,津田越前守助広らとともに江戸時代を代表する刀工。長曾禰興里(おきさと)と名のり,入道して古鉄,虎徹と称した。とくに切れ味の鋭いことでは全刀工中第一といわれ,《新刃銘尽》《古今鍛冶備考》をはじめとする江戸時代の刀剣書に高く評価されている。実際,〈三ッ胴截断〉〈二ッ胴切落〉〈石灯籠切〉などと切れ味を誇る添銘した作が数多く現存している。もともと越前国福井甲冑師であったが,明暦(1655-58)の初め,50歳を過ぎてから江戸に出て刀工に転じており,〈延宝五年(1677)二月吉祥日〉紀の作をもって終わっている。その師については古来諸説あるが,今日では和泉守兼重とするのが定説である。作風は年代によって多少変化するが,精美な地鉄,数珠刃(じゆずば)と称される頭の丸い互(ぐ)の目が連れた刃文に真価があらわれており,興正,興久,興直らの門人,また法城寺一派,3代下坂康継など,以後の江戸の刀工に強い影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「虎徹」の意味・わかりやすい解説

虎徹
こてつ

[生]? 越前
[没]延宝5(1677).江戸
江戸時代前期の新刀の名工。名は興里,のち剃髪して虎徹と号した。近江の長曾禰村に住し,のち越前,福井に移住,初め甲冑師を業とした。明暦年間 (1655~58) の初め 50歳を過ぎて鍛冶となり,江戸に移住して鍛刀。その作風は数珠刃,互の目乱 (ぐのめみだれ) に独特の技法を開拓して一世を風靡した。寛文 10 (70) 年頃が大成した時代で八十余歳で没した。銘は古鉄,虎徹,乕徹,虎入道と年代によって変化している。虎徹2代目に養子の興正 (おきまさ) がいる。

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百科事典マイペディア 「虎徹」の意味・わかりやすい解説

虎徹【こてつ】

江戸時代の刀工。名は興里(おきさと),通称三之丞。初め越前福井の甲冑(かっちゅう)師で,明暦(1655年―1658年)初めころ江戸に出て新刀の一流刀工となった。師は上総(かずさ)介兼重とする説が有力。地鉄の鍛えがすぐれ,刃文は匂口(においくち)のさえた〈互(ぐ)の目乱れ〉を得意とした。銘字が時代により変遷し長曾禰興里,長曾禰虎徹入道興里,虎入道など6種ある。人気があるため偽作が多い。
→関連項目助広

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「虎徹」の解説

虎徹 こてつ

長曾禰虎徹(ながそね-こてつ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「虎徹」の意味・わかりやすい解説

虎徹
こてつ

長曽禰虎徹

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