蟹養斎(読み)かに・ようさい

朝日日本歴史人物事典 「蟹養斎」の解説

蟹養斎

没年:安永7.8.14(1778.10.4)
生年:宝永2(1705)
江戸時代中期の崎門派の儒者。名は維安,養斎は号。安芸(広島県)の人。幼時に名古屋にきて尾張(名古屋)藩士布施氏の養子となる。三宅尚斎に朱子学を学んだのち,名古屋で私塾を開いて教化に携わり,尾張藩から5人扶持を給せられた。尾張藩の保護を受けて新たに巾下学問所を開いたが,経営難に陥って閉鎖し,伊勢(三重県)桑名へ去った。各地を転々として伊勢浦田で病没。道学に任じて実践躬行を尊び,異端異学を排斥し,儒教的喪祭定着をはかった。<著作>『易学啓蒙国字解』『火葬弁』『士庶喪祭考』『弁復古』<参考文献>『尾藩世紀』(名古屋叢書3編)

(高橋文博)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蟹養斎」の解説

蟹養斎 かに-ようさい

1705-1778 江戸時代中期の儒者。
宝永2年生まれ。三宅尚斎(しょうさい)にまなぶ。尾張(おわり)(愛知県)で私塾勧善堂をひらき,名古屋藩儒官となる。延享2年巾下(はばした)学問所を設立徂徠(そらい)学を批判し,崎門学普及をめざした。安永7年8月14日死去。74歳。名は維安。字(あざな)は子定。通称は佐左衛門。別号に東溟。著作に「読書路径」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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