日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
衣文(公家衣服の着装法)
えもん
公家(くげ)衣服の着装法。衣紋とも書く。平安時代末期、院政期に鳥羽(とば)上皇や、花園(はなぞの)の左大臣といわれた源有仁(ありひと)たちが、風流の趣向から着装法を考案したといわれる。この時期、公家階級の衰退、武家の台頭という情勢にありながらも、公家の衣服は大形化し、強(こわ)張った形式の、いわゆる強装束(こわしょうぞく)となった。このような服装の変化に伴い、折り目正しく着装するために、襞(ひだ)のとり方や紐(ひも)の結び方などに技巧を要するようになり、自分一人では着装が困難となって、着付専門の衣文者が必要となった。さらに流儀が生じて衣文道が始められた。この道は大炊御門(おおいみかど)、徳大寺の両家に伝えられ、のちに高倉、山科(やましな)の両家が衣文の家となり今日に受け継がれている。
[高田倭男]