西京区(読み)ニシキョウク

デジタル大辞泉 「西京区」の意味・読み・例文・類語

にしきょう‐く〔にしキヤウ‐〕【西京区】

西京

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日本歴史地名大系 「西京区」の解説

西京区
にしきようく

面積:五八・五三平方キロ

京都市西部の桂川中流域西岸(右岸)にあり、京都盆地の西南端にあたる。西部の境界は京都府亀岡市・大阪府高槻市、南側は京都府向日むこう市・長岡京市。

平野部は東側に集中し、西側は山間部が丹波との国境尾根へと続く。おいさか峠付近とポンポン山より小畑おばた川と善峰よしみね川がそれぞれ源を発し、南部を横断して桂川に注ぐが、両川に挟まれる地域に大原野おおはらのとよばれる複合扇状地が発達、寺戸てらど丘陵がその東端を形成している。北部では烏ヶ岳付近より西芳寺さいほうじ川が東流して桂川に合流する。

〔原始〕

縄文遺跡は西京区内では発見されていない。桂川流域には下津林しもつばやし上里かみざと北部に弥生遺跡があり、桂川や小畑川に沿って南から北へ開発が進んだことが知られる。

古墳は大規模なものが多く、四世紀中葉と推定される樫原かたぎはら地区の一本松塚古墳をはじめ、五世紀末から六世紀にわたる群集墳が寺戸丘陵北端の地に集中する。それらのうち五世紀中頃と推定される御陵みささぎ天皇てんのうもり古墳は京都市内最大規模の前方後円墳の遺構である。このような桂川中流域の開発は、渡来人系の秦氏や土師氏によって、徐々に進行し(秦氏本系帳)、松尾神社や石作いしづくり神社はそれら古代首長との関係を物語る。

〔古代〕

古代の山城盆地葛野かどの一郡のみよりなり(「続日本紀」大宝元年四月三日条)、大宝の令制により乙訓おとくに綴喜つづき愛宕おたぎ等の諸郡に分割されたとする説が有力である(「続日本紀」大宝二年七月八日条)。西京区は分郡後の葛野郡の西南部(桂川右岸)及び乙訓郡の北部からなる。条里制の遺構もよく残存し(松尾大社蔵東文書)、特に上桂かみかつら付近の里名は東寺百合文書の上桂庄差図と正和五年(一三一六)上桂庄実検取帳により、乙訓郡北部の条里は九条家文書乙訓郡条里図によって明らかにされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西京区」の意味・わかりやすい解説

西京〔区〕
にしきょう

京都市南西端の区。 1976年右京区のうち,桂川より南西側の松尾 (まつのお) ,桂,川岡,大枝 (おおえ) ,大原野 (おおはらの) 村の地域が分離して新設。西部は山地,東部には洪積層の台地や桂川沿岸の沖積平野が開ける。台地にはたけのこ生産のためのモウソウチクの林やカキ畑が多い。向日市に接して大規模な洛西ニュータウンが建設され,人口が急増。嵐山西芳寺 (苔寺。庭園は特別名勝・史跡) などの景勝地があり,宝菩提院 (菩薩半跏像は国宝) ,天皇の杜古墳,樫原廃寺跡などの史跡もある。大原野の遊龍松は天然記念物。東部に桂離宮がある。面積 59.24km2。人口 14万9837(2020)。

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