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西条 凡児 サイジョウ ボンジ

20世紀日本人名事典の解説

西条 凡児
サイジョウ ボンジ

昭和期の漫談家,テレビ司会者



生年
大正3(1914)年10月17日

没年
平成5(1993)年5月31日

出生地
大阪府大阪市

本名
河内 弘明

学歴〔年〕
浪華商卒

経歴
昭和10年大阪千日前で、九条芸児とコンビの「五銭漫才」で売り出したが、芸児が応召、戦死したため漫談家転向。戦後は毎日放送ラジオの「お脈拝見」で、辛口の社会批判がうけた。35年から始まった毎日放送のテレビ番組「素人名人会」、39年からの朝日放送「おやじバンザイ」の司会で人気が上昇した。47年4月からフジテレビの「凡児の・娘をよろしく」で司会。54年同番組終了後、一線を退いた。

出典|日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について | 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

西条 凡児
サイジョウ ボンジ


職業
漫談家 テレビ司会者

本名
河内 弘明

生年月日
大正3年 10月17日

出生地
大阪府 大阪市

学歴
浪華商卒

経歴
昭和10年大阪・千日前で九条芸児とコンビを組み、漫才師としてデビュー。“五銭漫才”で売り出したが、芸児が応召して戦死したため漫談に転向。歯に衣をきせない軽妙な社会風刺が持ち味で、26年毎日放送ラジオ「凡児のお脈拝見」で人気を獲得。35年毎日放送のテレビ番組「素人名人会」の司会者を務め、39年からの朝日放送「おやじバンザイ」の司会で人気を全国区した。45年かつて居宅の近所の工事騒音に抗議して「テレビでしゃべる」と3つの建設会社から計90万円を受け取ったことが判明、警察に取り調べられたが、徹底抗戦で不起訴になった。このためマスコミからシャットアウトされたが、47年フジテレビ「凡児の・娘をよろしく」で司会に復帰。54年同番組終了後、一線を退いた。芸名は詩人の西条八十と漫画家の只野凡児にちなむ。第5回上方演芸の殿堂入り。

没年月日
平成5年 5月31日 (1993年)

家族
二男=西条 遊児(タレント),三男=西条 笑児(タレント),孫=西条 三恵(宝塚歌劇団員)

伝記
凡児無法録―「こんな話がおまんねや」漫談家・西条凡児とその時代 戸田 学 著(発行元 たる出版 ’01発行)

出典|日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について | 情報

367日誕生日大事典の解説

西条 凡児 (さいじょう ぼんじ)

生年月日:1914年10月17日
昭和時代の漫談家;テレビ司会者
1993年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

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