見島(読み)みしま

精選版 日本国語大辞典 「見島」の意味・読み・例文・類語

みしま【見島】

山口県の北端、日本海の見島にあった郡。寛文四年(一六六四大津郡から分立。明治二九年(一八九六阿武郡に併合されて消滅。旧郡域は昭和三〇年(一九五五)萩市に編入。
※二十巻本和名抄(934頃)五「長門国 〈略〉見島」

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日本歴史地名大系 「見島」の解説

見島
みしま

[現在地名]萩市見島

きくはまの北西四六キロの海上にある孤島。面積七・八五平方キロ。東西二六町、南北二五町、島回り三里二三町五〇間(地下上申)。寛政元年(一七八九)の幕府巡見使に対する答弁書「上使出会之面々手控」(毛利家文庫旧蔵)には「見嶋之儀は萩より海上十八里有之と申伝候、北海荒津故渡海むつかしく常々猟船なとの外は渡海仕者も無御座候」とある。浜崎宰判に属した。

島名は「和名抄」刊本に長門国六郡の一として見島郡があり、また大津おおつ郡に属する郷名として「三島」と記す。一方「和名抄」高山寺本は長門国を五郡とし、見島郡も郷名としての三島もみえない。「阿武郡志」は「見嶋は和名抄に郡名に収め并に郷名として大津郡に入れ三島とせり(中略)旧くは見嶋郡はなきなり、和名抄は後に加へたるなり(中略)延喜式には固よりなし、和名抄刊本に見島郡とあるは拾芥抄に之を以て一郡と為ししより、其誤を受けたるものの如し。而かもこれに拠りて近世遂に実際見嶋郡を置くに至れり」とする。「防長地名淵鑑」も見島郡は後人の挿入であり、三島は大津郡郷名であるとし、「山口県風土誌」も「見島は和名鈔郷名に三島とある是なり」とする。正倉院文書によれば、天平八年(七三六)に長門五郡の正税穀を定めるとあり、長門国は五郡であったが一時期見島郡が存在し、一〇世紀に入って廃止されたため「延喜式」には記載されなかったとも考えられる。他に類例のない一郡一郷村の見島郡が置かれたのはなぜか。見島ジーコンボ古墳群の被葬者は高度の文化をもち、見島を前線的軍事基地として駐留した人々であったと推測される。とくに八世紀後半から一〇世紀にかけて新羅の侵攻を恐れ長門国などの海防を重視したことは「続日本紀」「三代実録」などに散見され、対外関係の最も緊迫した一時期、見島郡を置いたのではなかろうか。

中世には大津郡に属して見島郷と称された。見島神社所蔵至徳四年(一三八七)の鰐口銘に「長州大津郡見嶋郷八幡宮」、廃皇子宮の嘉慶二年(一三八八)の鰐口銘(「山口県風土誌」所載)に「大津郡三島郷」とみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「見島」の意味・わかりやすい解説

見島
みしま

山口県萩(はぎ)市の浜崎港から北西へ45キロメートルの日本海に浮かぶ島。旧見島村。面積7.73平方キロメートル。玄武岩からなる台地状の島で、イクラゲ山(175メートル)には航空自衛隊のレーダー基地がある。『和名抄(わみょうしょう)』には大津郡三島郷とみえる。ジーコンボ古墳群は国指定史跡で、7~10世紀の群集古墳。中世は大陸貿易で栄え、近世は海防上の要地として一島一郡をなした。萩藩は遠見番所を置き、砲台が築かれた。また、藩の流刑地でもあった。1739年(元文4)の記録には家数346軒、人数1927人、船数31艘(そう)とある。対馬(つしま)暖流に洗われる暖かい島で、島内はよく水田化され、水稲、タバコ、ダイコン、冬キャベツの産出が多い。特産は見島和牛。漁業は刺網、延縄(はえなわ)、一本釣りがおもで、アマダイ、ブリ、イカ、サザエ、ウニの漁獲が多い。見島ウシ産地、見島のカメ生息地は国指定天然記念物。浜崎港からの定期便がある。人口1041(2009)。

[三浦 肇]

『山口県教育委員会編『見島総合学術調査報告』(1964・山口県)』


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改訂新版 世界大百科事典 「見島」の意味・わかりやすい解説

見島 (みしま)

山口県萩市に属し,浜崎港から北西45kmにある日本海上の離島。面積7.85km2,人口945(2012)。玄武岩台地の島で,南に本村(ほんむら),北東に宇津の2集落がある。対馬暖流の影響で冬も霜をみない。古く《和名抄》に大津郡三島郷の名が見える。横浦海岸の見島古墳群(ジーコンボ古墳群)(史)は約200基の積石塚からなる群集墳で,和同開珎をはじめとする在銘の貨銭や多くの鉄製武器,金銀環,土師器須恵器などが出土した。近世には一島一郡の見島郡を称し,〈島酋〉と称する山田氏が島を管掌,長州藩政下でも特異な地であった。島内の農地の6割は水田であるが,干害をうけやすく溜池が多い。漁業は刺網,はえなわ,一本釣りが盛んで,アマダイ,ブリ,イカ,サザエ,ウニの漁獲が多い。最高所のイクラゲ山(180m)には近世,藩の遠見番所が置かれたが,現在は航空自衛隊のレーダー基地がある。島は見島ウシ産地,見島のカメ生息地として天然記念物に指定されている。萩市から定期船の便がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「見島」の意味・わかりやすい解説

見島
みしま

山口県北部,萩市北西方の日本海に浮ぶ島。萩市に属する。江戸時代長州藩の流刑地であった。玄武岩から成る島で,最高点 175m。対馬海流の影響で気候は温暖。耕地の開発も進んでいるが,水田は天水に依存。漁業が行われる。天然記念物のカメ生息地,同じく天然記念物の見島ウシ産地があるがともに現在は減少している。 200基に近い積石塚のジーコンボ古墳群 (史跡) は有名。萩港から定期船の便がある。面積 7.73km2。人口 1256 (2000) 。

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百科事典マイペディア 「見島」の意味・わかりやすい解説

見島【みしま】

山口県萩市,市街北西43kmの日本海上にある島。面積7.76km2。玄武岩からなり,海食崖をめぐらす。対馬海流の影響により温和なので,耕地が広いが,大部分天水田で干害も多い。見島牛(天然記念物)の放牧が行われる。見島のカメ生息地(天然記念物),ジーコンボ古墳群(史跡)がある。古代には三島ともみえ,海外との交易で富を得た三善氏らが知られる。近世は萩藩の流刑地。萩港から船便がある。
→関連項目萩[市]

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デジタル大辞泉プラス 「見島」の解説

見島

山口県萩市、萩港の北北西約44キロメートルの日本海に位置する萩諸島の島。面積約7.73平方キロメートル。国指定史跡、ジーコンボ古墳群がある。江戸時代にはクジラ漁が行われ、北前船寄港地としても栄えた。在来種の見島牛は国の天然記念物。

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