観世 喜之(2代目)(読み)カンゼ ヨシユキ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「観世 喜之(2代目)」の解説

観世 喜之(2代目)
カンゼ ヨシユキ


職業
能楽師(観世流シテ方)

肩書
観世流銕之丞家分家

別名
前名=観世 武雄

生年月日
明治35年 10月21日

出生地
東京

経歴
初代喜之の兄永島兼太郎の長男。幼少より観世家に引きとられ、観世清之、初代喜之より指導をうける。明治38年仕舞「猩々」で初舞台、42年「合浦」で初シテ。大正15年初代喜之の養嗣子となり、昭和17年2代目喜之を襲名した。27年戦災で消失した矢来能楽堂再建。(社)観世九皐会を設立し、理事長。29年ベネチア国際演劇祭に、32年パリ文化祭に喜多実と共に演能団副団長として参加。40年より日本能楽会会員。

没年月日
昭和52年 12月17日 (1977年)

家族
養父(叔父)=観世 喜之(初代),養子=観世 喜之(3代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「観世 喜之(2代目)」の解説

観世 喜之(2代目)
カンゼ ヨシユキ

大正・昭和期の能楽師(観世流シテ方) 観世流銕之丞家分家。



生年
明治35(1902)年10月21日

没年
昭和52(1977)年12月17日

出生地
東京

別名
前名=観世 武雄

経歴
初代喜之の兄永島兼太郎の長男。幼少より観世家に引きとられ、観世清之、初代喜之より指導をうける。明治38年仕舞「猩々」で初舞台、42年「合浦」で初シテ。大正15年初代喜之の養嗣子となり、昭和17年2代目喜之を襲名した。27年戦災で消失した矢来能楽堂を再建。(社)観世九皐会を設立し、理事長。29年ベネチア国際演劇祭に、32年パリ文化祭に喜多実と共に演能団副団長として参加。40年より日本能楽会会員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「観世 喜之(2代目)」の解説

観世 喜之(2代目) (かんぜ よしゆき)

生年月日:1902年10月21日
大正時代;昭和時代の能楽師シテ方
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android