議政王大臣(読み)ぎせいおうだいじん(英語表記)Yì zhèng wáng dà chén

改訂新版 世界大百科事典 「議政王大臣」の意味・わかりやすい解説

議政王大臣 (ぎせいおうだいじん)
Yì zhèng wáng dà chén

中国,清代初期の最高国政合議機関議政王議政大臣総称して議政王大臣という。建国当初の清朝は満州族固有の諸制度を色濃く残していたが,この合議機関の存在もそのひとつであった。議政王には有力な皇族任命された。議政大臣は専任の官ではなく,おもに八旗の高級武官が兼任の形で任命された。そのほとんどが満州八旗人であり,蒙古八旗人や漢軍八旗人の任命は若干あったにすぎない。議政王大臣の任務は重要政務全般,特に軍事関係事項の審議であったが,決定権はあくまでも皇帝にあった。清朝が明の制度を継承して中国式の官僚国家として整備されるにつれ,議政王大臣の権限はしだいに弱まっていく。まず内閣が一般政務の最高機関となり,ついで軍機処が重要政務の最高機関となった。こうして有名無実化した議政王大臣の制度は乾隆末に廃止された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「議政王大臣」の意味・わかりやすい解説

議政王大臣
ぎせいおうだいじん
yi-zheng-wang da-chen; i-chêng-wang ta-chên

中国,清朝の最高会議の構成員である議政王 (有力皇族があたる) と議政大臣 (有力旗人があたる) の総称。議政王大臣会議は北方民族の会議政治の流れをひくもので,八旗制に立脚して構成され,太祖ヌルハチ (奴児哈赤)の代から行われていたが,太宗ホンタイジ (皇太極)の崇徳2 (1637) 年に拡大され,雍正朝に軍機処が設置されるまで皇帝の最高諮問機関であった。ただ皇帝権の拡大とともに会議の性格は変質し,当初は軍事,行政すべてを議したが,内閣の設置とともに軍事面を中心に議するようになり,軍機処設置以後は名目的な存在で,乾隆 57 (1792) 年に廃止された。なお定員は一定せず,多くは満州人が任命されたようである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「議政王大臣」の意味・わかりやすい解説

議政王大臣
ぎせいおうだいじん

中国、清(しん)初の最高国政会議の構成員。太祖ヌルハチ(在位1616~26)の時代に創設され、次の太宗ホンタイジによって増員された。有力皇族と八旗(はっき)の諸長官が任ぜられたが、1644年、入関後は旗人(きじん)出身の文官からも選ばれた。初めはいっさいの重要な国務を議したが、内閣の制度が確立(1670)されると一般の国政はここに移り、もっぱら軍事や対外関係を議した。しかし、しだいに力を失い、雍正(ようせい)年間(1723~35)軍機処が設置されてからは有名無実化し、1792年に廃止された。

神田信夫

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