新撰 芸能人物事典 明治~平成 「谷 啓」の解説
谷 啓
タニ ケイ
- 職業
- 俳優 トロンボーン奏者
- 本名
- 渡辺 泰雄(ワタベ ヤスオ)
- グループ名
- グループ名=クレージー・キャッツ
- 生年月日
- 昭和7年 2月22日
- 出生地
- 東京府 荏原郡東調布町(東京都 大田区)
- 学歴
- 中央大学経済学部中退
- 経歴
- 3人きょうだい(2男1女)の2番目の長男。東京で生まれ、広島や横浜で育つ。昭和20年逗子開成中学に入り、ブラスバンドでテューバを吹き始め、やがて憧れていたトロンボーンを手にした。卒業後、関東学院大学に入学したが、1年後に高校時代の音楽仲間が多かった中央大学経済学部に再入学。バンドを組んで進駐軍のキャンプをまわり、在学中の27年、原信夫とシャープス・アンド・フラッツに入団。米国のコメディ映画が好きで、コメディアンのダニー・ケイをもじった谷啓を芸名とした。足でトロンボーンを演奏するといった奇抜な演奏もこなし、その舞台をみたフランキー堺に誘われ、フランキー堺とシティ・スリッカーズに転じたが、フランキーが俳優として忙しくなってきたため、メンバーであったギタリストの植木等と脱退を決意、前後してハナ肇率いるキューバン・キャッツに移籍した。やがてキューバン・キャッツはクレージー・キャッツに名前を変更。メンバーはリーダーでドラムスのハナ、ボーカルとギターの植木の他、ベースの犬塚弘、テナーサックスの安田伸、ピアノの石橋エータローで、石橋の入院により同じくピアノの桜井センリが加入した。ジャズメン仲間だった渡辺晋が設立したマネジメント会社・渡辺プロダクションに入り、娯楽の主役がテレビに移行する中でジャズメンからテレビタレントへと転身。34年テレビ初レギュラーとなったフジテレビのコント番組「おとなの漫画」でコミックバンドとして注目を集め、36年からは日本テレビの歌謡バラエティ「シャボン玉ホリデー」にレギュラー出演。音楽とギャグが同居したナンセンスでスピード感のある笑いは、それまでの落語や漫才、藤山寛美に代表される人情喜劇とは対照的で、日本人の笑いに革命をもたらした。陽性な植木に対して、目をパチパチさせた丸顔からとぼけた味を醸し出し、口数は少ないながら要所で笑いを誘い、植木に次ぐ人気を博した。“ガチョーン”のかけ声とともに右手を手前に引いて閉じる“ガチョーン”や、“ビローン”“ムヒョーッ”“谷ダァー”などのギャグで有名。トロンボーン奏者としても、屈指の腕前を持つ名手として知られ、自身のグループである谷啓とスーパーマーケットや、ハナ肇とオーバー・ザ・レインボーなどでも演奏。俳優としては、クレージー・キャッツによる一連の〈無責任〉シリーズを経て、39年「続・図々しい奴」で初主演。名脇役として数多くの作品に出演し、人気映画シリーズ〈釣りバカ日誌〉で演じた、主人公・浜ちゃんの上司・佐々木課長などの小市民的な役柄に定評があった。同シリーズ最終作「釣りバカ日誌20 ファイナル」が遺作となった。最晩年はNHK教育テレビの教養番組「鑑賞マニュアル 美の壺」の案内役を務めた。他の出演作に、舞台「屋根の上のバイオリン弾き」「銀河の約束」、映画「幸福」「会社物語」「ワンダフルライフ」「川の流れのように」「ウォーターボーイズ」「福耳」「死に花」「スウィングガールズ」、テレビ「若い季節」「天下御免」「寺内貫太郎一家」「独眼竜政宗」「時間ですよ」「江戸の用心棒」「痛快!三匹のご隠居」「さよなら、小津先生」「おみやさん」「いま、会いにゆきます」などがある。
- 没年月日
- 平成22年 9月11日 (2010年)
- 伝記
- テレビの黄金時代七人のネコとトロンボーン 小林 信彦 著谷 啓 著(発行元 文芸春秋読売新聞社 ’05’95発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報