豊平川(読み)とよひらがわ

日本歴史地名大系 「豊平川」の解説

豊平川
とよひらがわ

札幌市南西端の小漁こいざり(一二三五・二メートル)水源とし、札幌市域をおおむね北東方向に流れ、東区中沼なかぬま町と江別角山かくやまの間で石狩川に注ぐ。一級河川。流路延長七二・五キロ(うち指定区間六二・一キロ)、流域面積九〇二・三平方キロ。水源を発した流れは札幌岳の西麓を北流して豊平ほうへい峡の渓谷を刻み、定山渓じようざんけい温泉街付近で白井しらい川を左岸に入れて東流に転じる。そのまま東へ進み、簾舞みすまい川などを入れながら南区石山いしやま地区付近で北流に転じ石狩平野に出る。この辺りで右岸真駒内まこまない川を入れ、月寒つきさむ台地の西縁を巻きながら流れを北東に変え、札幌市街を抜ける辺りでまた北流に転じ石狩川に注ぐ。

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改訂新版 世界大百科事典 「豊平川」の意味・わかりやすい解説

豊平川 (とよひらがわ)

北海道,支笏湖の北西,小漁(こいざり)山(1236m)西麓に源を発し,札幌市内を貫流して石狩川に注ぐ川。幹川流路延長76km,全流域面積873km2上流部の定山渓(じようざんけい)温泉付近では薄別(うすべつ)川,白井川,小樽内川と合流し,中流部では札幌市街地がのる扇状地形成している。古くは札幌川といわれたが,19世紀初頭に下流部で流路の変動があって現在の流路になり,以後,豊平川と称されるようになった。1941年までは江別市の対雁(ついしかり)で石狩川に合流していたが,洪水防止と泥炭地の土地改良を兼ねて人工水路が開削され,合流地点は現在約6km西の札幌市東区の福移地区に移動している。1972年上流に豊平峡(ほうへいきよう)ダムが建設され,札幌市の上水道源としての役割がいっそう大きくなった。また中流部は果樹と札幌軟石(家屋用石材)の産出で知られ,下流の旧豊平川沿いは古くからタマネギの産地である。最近では都市河川としての整備が進み,水質の浄化により79年からはサケ遡上も確認されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊平川」の意味・わかりやすい解説

豊平川
とよひらがわ

北海道中西部、札幌市を流れる石狩川の支流。全長76キロメートル。後志(しりべし)火山群の小漁山(こいざりやま)に発し、定山渓(じょうざんけい)を経て札幌市街地をのせる扇状地をつくり、江別(えべつ)市角山(かくやま)で石狩川に合流する。上流に深い豊平峡(ほうへいきょう)をつくっていたが、その大部分豊平峡ダムによる人造湖となり、以下2、3段の段丘を形成して流下し、一部は札幌市街平岸(ひらぎし)にまで及んでいる。ダムの貯水池は発電のほか市民の上水道に利用されている。安政(あんせい)年間(1854~1860)現在の豊平橋付近で豊平川の渡し守をした2人の和人が札幌の最初の来住者とされ、開拓時代からこの水を利用してビール、亜麻(あま)などの工業がおこった。扇状地、段丘面ではリンゴ、ホップの栽培が行われたが、いまは完全に住宅地化している。河畔には十五島、藻南、中島の公園があり、市民の憩いの場になっている。

[奈良部理]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「豊平川」の意味・わかりやすい解説

豊平川
とよひらがわ

北海道札幌市の南西方,小魚山 (こいざりやま,1235m) に源を発し,市内を流れる川。全長 71km。東区中福移付近で石狩川に合流する。上流部は支笏洞爺国立公園に属し,豊平峡や定山渓などの渓谷を形成,中流部には簾舞 (みすまい) ダムがあり,発電や市の上水に利用されている。

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