豊沢 広助(7代目)(読み)トヨザワ ヒロスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「豊沢 広助(7代目)」の解説

豊沢 広助(7代目)
トヨザワ ヒロスケ


職業
義太夫節三味線方

肩書
豊沢家元

本名
栗原 竹三郎

別名
前名=豊沢 竹三郎,豊沢 猿糸(5代目)

生年月日
明治11年 2月4日

出生地
大阪府 大宝寺町

経歴
明治24年豊沢富助に入門、豊沢竹三郎を名乗った。25年彦六座に、26年文楽座に移った。36年5代豊沢広助の養子となり、大正12年5代豊沢猿糸を襲名、昭和6年7代豊沢広助を継いだ。このころ東京の豊沢松太郎に豊沢団平系の演奏法を習い、養父広助の文楽系の弾き方と合わせ、曲節の分類、整理を始め、11年邦楽同好会の頒布レコード「義太夫 節と手順」13枚をまとめた。30年には文部省無形文化財保護委員会の委嘱で6時間のテープ録音を行った。作曲に「修禅寺物語」「東海美女伝」。養子が廃業したため、江戸末期以来の名家・広助家は廃絶した。

没年月日
昭和32年 1月22日 (1957年)

親族
養父=豊沢 広助(5代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「豊沢 広助(7代目)」の解説

豊沢 広助(7代目)
トヨザワ ヒロスケ

明治〜昭和期の義太夫節三味線方 豊沢家元。



生年
明治11(1878)年2月4日

没年
昭和32(1957)年1月22日

出生地
大阪・大宝寺町

本名
栗原 竹三郎

別名
前名=豊沢 竹三郎,豊沢 猿糸(5代目)

経歴
明治24年豊沢富助に入門、豊沢竹三郎を名乗った。25年彦六座に、26年文楽座に移った。36年5代豊沢広助の養子となり、大正12年5代豊沢猿糸を襲名、昭和6年7代豊沢広助を継いだ。このころ東京の豊沢松太郎に豊沢団平系の演奏法を習い、養父広助の文楽系の弾き方と合わせ、曲節の分類、整理を始め、11年邦楽同好会の頒布レコード「義太夫 節と手順」13枚をまとめた。30年には文部省無形文化財保護委員会の委嘱で6時間のテープ録音を行った。作曲に「修禅寺物語」「東海美女伝」。養子が廃業したため、江戸末期以来の名家・広助家は廃絶した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「豊沢 広助(7代目)」の解説

豊沢 広助(7代目) (とよざわ ひろすけ)

生年月日:1878年2月4日
明治時代-昭和時代の浄瑠璃三味線方
1957年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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