賀屋 興宣(読み)カヤ オキノリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「賀屋 興宣」の解説

賀屋 興宣
カヤ オキノリ


肩書
蔵相,法相,日本遺族会会長,衆院議員(自民党)

生年月日
明治22年1月30日

出生地
広島県広島市

学歴
東京帝大法科大学政治科〔大正6年〕卒

経歴
大正6年大蔵省に入り、主計課長、予算決算課長を経て、昭和9年主計局長、11年理財局長、12年林内閣の大蔵次官、同年第1次近衛内閣の蔵相を歴任。13年辞任後勅選貴族院議員。14年北支那開発総裁、16〜19年東条内閣の蔵相。20年A級戦犯として終身禁錮、30年仮出所、33年赦免。同年東京3区から衆院選に出馬当選。34年から自民党外交調査会、社会保障調査会、政務調査会の各会長。38年から第2次、第3次池田内閣の法相を務めた。47年引退。日本遺族会会長も務めた。自伝「戦前戦後80年」がある。

没年月日
昭和52年4月28日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「賀屋 興宣」の解説

賀屋 興宣
カヤ オキノリ

昭和期の大蔵官僚,政治家 蔵相;法相;日本遺族会会長;衆院議員(自民党)。



生年
明治22(1889)年1月30日

没年
昭和52(1977)年4月28日

出生地
広島県広島市

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治科〔大正6年〕卒

経歴
大正6年大蔵省に入り、主計課長、予算決算課長を経て、昭和9年主計局長、11年理財局長、12年林内閣の大蔵次官、同年第1次近衛内閣の蔵相を歴任。13年辞任後勅選貴族院議員。14年北支那開発総裁、16〜19年東条内閣の蔵相。20年A級戦犯として終身禁錮、30年仮出所、33年赦免。同年東京3区から衆院選に出馬当選。34年から自民党外交調査会、社会保障調査会、政務調査会の各会長。38年から第2次、第3次池田内閣の法相を務めた。47年引退。日本遺族会会長も務めた。自伝「戦前戦後80年」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「賀屋 興宣」の解説

賀屋 興宣 (かや おきのり)

生年月日:1889年1月30日
昭和時代の大蔵官僚;政治家。大蔵大臣;法務大臣;日本遺族会会長
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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