軍人皇帝時代(読み)ぐんじんこうていじだい

改訂新版 世界大百科事典 「軍人皇帝時代」の意味・わかりやすい解説

軍人皇帝時代 (ぐんじんこうていじだい)

軍隊皇帝擁立廃位したローマ帝政期の内乱時代。セウェルス朝最後の皇帝セウェルス・アレクサンデルが兵士の手により殺されて以後,ディオクレティアヌス帝の即位によって強力な専制政治が始められるまでの50年間(235-285)をいう。その最初の皇帝マクシミヌスダイア農民の出で一兵卒から昇進し,巨体怪力大食によって兵士の人気を得て帝位に推されたことが,この時代の特徴をよく示している。軍人皇帝の大部分は軍人として出世し,軍隊による推挙によって帝位を得た。この間に皇帝は各地の軍隊によってほしいままに擁立され,帝位についた者は26名にもおよぶが,ほとんどは治世半ばで兵士の手によって,あるいは対立皇帝との戦いで命を失った。天寿を全うできた者は2名にすぎない。まさに帝位が軍隊ないしは兵士の手中にあった時代で,一貫した国政の遂行を困難にし,帝国衰退の一要因となった。
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百科事典マイペディア 「軍人皇帝時代」の意味・わかりやすい解説

軍人皇帝時代【ぐんじんこうていじだい】

ローマ帝政期,235年セウェルス帝・アレクサンデルの死から,285年ディオクレティアヌス帝の即位までの50年間,帝国各地の軍隊が皇帝を擁立・廃位した内乱の時代。18人の皇帝(共同統治者を入れると26人)中,天寿を全うしたものは2人のみ。内部的な無秩序状態に加え,東方ではペルシア北方ではゲルマン人侵入に悩まされた。この危機の時代を収拾したのがディオクレティアヌスのドミナトゥスであった。
→関連項目元首政ローマ[古代]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「軍人皇帝時代」の意味・わかりやすい解説

軍人皇帝時代
ぐんじんこうていじだい
soldier (barrack) emperors; Soldatenkaiser

235~285年ローマの皇帝位を諸地方の軍隊が左右した一種の内乱,危機の時代。セウェルス朝最後のアレクサンデル・セウェルス帝 (在位 222~235) 殺害後,帝位についたトラキア農民出身のマクシミヌスから 50年間,26人の皇帝がそれぞれ輩下の地方軍団から擁立されて競い合った。そのほとんどは暗殺され,外部からの侵入,内部における異種民族の抗争が続いた。その間ガリエヌスアウレリアヌス帝らは軍制の強化,皇帝の神聖化によって再建に努め,ディオクレチアヌスの登位によって軍人皇帝時代の混乱は終った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「軍人皇帝時代」の解説

軍人皇帝時代
ぐんじんこうていじだい

235年から284年まで続いた帝政ローマ期の混乱と無秩序時代
属州出身の職業軍人が,各地で傀儡 (かいらい) 皇帝を廃立させ,50年間に26人の皇帝が立って,そのうち2名が天寿をまっとうしたにすぎず,同時にササン朝やゲルマン人の侵入もあり,ローマの危機であった。しかし,284年,ディオクレティアヌスが皇帝となり,共和政的な要素を一掃してオリエント風の専制君主政(ドミナートゥス)を樹立し,混乱を収拾した。

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