達磨(読み)だるま

精選版 日本国語大辞典 「達磨」の意味・読み・例文・類語

だるま【達磨】

[1] 〘名〙 (dharma の音訳。「法」と意訳)
① 仏語。規範・真理・法則・性質教説・事物などの意。
※性霊集‐六(835頃)藤大使為亡児設斎願文「達磨の妙宝を筏とし」
② (二)の坐像にまねて作り、普通、顔面以外を赤く塗った張り子。底を重くして倒してもすぐ起きるように作る。商売繁盛・開運出世の縁起物で、最初片目だけを入れておき、願いごとがかなった際もう一つの目を入れて両眼をあけるならわしがある。
※談義本・風流志道軒伝(1763)二「掛乞は皮財布を膝に敷きて、達磨(ダルマ)のやうな目をむき出し」
③ ②に似たまるい形のもの。
売春婦。すぐにころぶところからいう。達磨女。
※雑俳・柳多留‐二四(1791)「兄弟か居ぬとだるまも無一物」
⑤ 僧侶をいう。
※雑俳・住吉御田植(1700)「をとたかき鯉で食喰ふ達磨衆」
⑥ 羽織。腰から下がないのでいう。
※当年見聞謎づくし(1819)「古手屋中の上げもの(トかけて)順慶町の座禅豆(トとく心は)達磨がたんとある」
⑦ 自転車で、前輪が大きく後輪が小さいもの。
※明治世相百話(1936)〈山本笑月〉秋葉の原昔話「達摩と称する、一輪はずっと大きく後輪は小さいこれも二輪車」
⑧ 菓子の一種。
※塩原多助一代記(1885)〈三遊亭円朝〉一五「其外駄菓子はお市、微塵棒、達磨、狸の糞抔(など)で」
※雑俳・柳多留‐四一(1808)「大道へ達广の出来る寒ひ事」
⑩ 隠語。盗人・てきや仲間で殺人をいう。〔隠語輯覧(1915)〕
※いやな感じ(1960‐63)〈高見順〉四「ダルマ(殺し)は俺は大好きだが」
[2] 中国の禅宗の始祖。菩提達磨。諡号は円覚大師。南インド香至国の王子で、六世紀のはじめ中国に渡り、嵩山の少林寺で面壁坐禅して悟りを得たという。梁の武帝との対論、没後のインド帰国など、多くの有名な伝説がある。古くは「達摩」と書いた。達磨大師生没年不詳。
[語誌]梵語音に従った「ダルマ」が本来の読み方であるが、後に漢字音によって「ダツマ」「タツバ」とも読まれた。「タツバ」の読み方は既に慈覚大師円仁(七九四‐八六四)の読み方を伝えるという醍醐寺蔵「法華経陁羅尼集」などにも見られる。

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デジタル大辞泉 「達磨」の意味・読み・例文・類語

だるま【達磨】

《〈梵〉Bodhidharmaの音写、菩提ぼだい達磨の略》
中国禅宗の始祖。インドのバラモンの出身と伝え、6世紀初め中国に渡り、各地で禅を教えた。嵩山すうざん少林寺面壁九年の座禅を行ったという。達磨大師。円覚大師。生没年未詳。→達磨忌

達磨大師の座禅の姿にまねた張り子の人形。手足がなく、紅衣をまとった僧の形で、底を重くして、倒してもすぐ起き上がるように作る。商売繁盛・開運出世などの縁起物とされ、最初に片目だけ入れておき、願いごとのかなった時、もう一方の目をかきこむ風習がある。
丸いもの、赤いものなど1の形に似たものの称。「雪達磨」「火達磨
売春婦。寝ては起き寝ては起きするところからいう。「達磨茶屋」

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改訂新版 世界大百科事典 「達磨」の意味・わかりやすい解説

達磨 (だるま)
Dá mó
生没年:?-532?

禅宗の初祖。達磨はダルマDharmaの音訳。菩提達磨と呼ぶのが正しく,古くは達摩と書き,円覚大師,聖胄大師と諡(おくりな)される。南インド香至国王第3子。幼名は菩提多羅で,仏陀の正法眼蔵を伝える第27祖般若多羅について出家,印可をうけて第28祖菩提達磨多羅となる。あたかも南北朝の中期,中国仏教が,教学に傾くのを正すため,遠く伝法を試み,海路3年ののち,広州につく。梁の武帝に会って契(あ)わず,ひそかに北上して魏の嵩山(すうざん)少林寺に入る。弟子慧可(えか)を得て正法眼蔵を伝え,中国禅宗の祖となるが,洛陽教学の大勢を占める他派の学徒に毒殺され,呉坂の熊耳に葬られた。やがてインドに西帰,あるいは日本に来化したという伝説がつくられた。とりわけ日本来化の伝説は,最澄の菩薩戒独立運動と関係し,南岳恵思が日本に聖徳太子として再生するという,より古い伝説と結合し,日本では天台宗より分立する達磨宗の運動や,その祖師像の製作をめぐって,近世における福達磨の流行にまで発展する。

 もともと,達磨が伝える正法眼蔵の本質は,自覚聖智,自性清浄心のこととして,これを古くより伝承する《楞伽(りようが)経》に求めるものと,梁の武帝や弟子慧可との問答に求めて,そこに般若皆空の理を重視するもの,あるいは経典いっさいを捨てて,以心伝心主張するものなど,後代になるほど多数の異説を生んだ。そこに禅の理想化が加わって,原史実の所在を覆う結果となるが,今世紀初頭以来の敦煌文書の発見によって,初期禅宗史の実態が明らかになるにつれて,達磨の伝と思想もまた,ほぼその正体を明らかにするに至る。すなわち,従来は低く評価された《二入四行論》とその編者曇林がまとめた序が原型で,これによると,達磨は西域を経て直接に北魏に来た遊化僧の一人で,その説は《楞伽経》よりも,むしろ《維摩(ゆいま)経》や三論の思想など,クマーラジーバの大乗仏教を,中国民族の実践にふさわしい壁観の説として具体化したことにあったようである。
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達磨 (だるま)

中国禅宗の始祖達磨が嵩山(すうざん)少林寺にあって,壁に向かって9年間座して悟りをひらいたという,いわゆる〈面壁九年〉の故事にちなみ,その座禅姿をうつした人形。赤い衣姿で手足がなく,底を重くして倒れてもすぐ起き上がるようにしくんだ起上り玩具の一種。起上り玩具としては,室町時代に〈起上り小法師〉と称するものが流行したが,江戸時代中期から達磨が起上り玩具を代表するようになり,倒れてもすぐ起き上がるというところから〈七転八起〉のたとえ言葉とともに縁起物として全国に流布した。歳暮,年始,節供その他社寺の縁日などにとくに多く売り出され,なかには盛大な達磨市がたち,年中行事の一つともなった。達磨市は関東に多いが,1月6日の高崎市の達磨寺の達磨市が最大のもので,1月28日の川崎市不動院の達磨市,3月3日の東京都深大寺の達磨市なども有名である。

 達磨はまたいろいろの俗信仰を生み出したが,その一つに目なし達磨がある。江戸時代末期に疱瘡が流行したとき達磨がその呪物とされ,疱瘡にはとくに目をたいせつにせねばならないところから,目無し達磨が売り出された。客の求めに応じてその場で目を入れる風が,仏の魂を入れる開眼の古俗とも結びついてひろまり,大願成就したとき目なし達磨に目を入れる風が今日にも伝わった。達磨はまた起き上がるというところから性神としても信仰され,男性器を連想させる形のものや,女性器を表象する模様があしらわれ,ここから姫達磨という女性の達磨もあらわれた。また蚕のことを〈お子様〉と呼ぶ風のあるところから,お子様を殖やす願いが性神としての達磨の信仰と結びつき,達磨が養蚕の縁起物となり,長野県の養蚕地帯では達磨を寺から借りうけてお子様繁昌を祈り,御礼には達磨を二つにして寺に奉納する風習も生まれた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「達磨」の意味・わかりやすい解説

達磨
だるま

[生]?
[没]大通2 (528)
禅宗の初祖。6世紀初頭にインドから中国に渡り,『楞伽経(りょうがきょう)』を広めた菩提達摩 Bodhidharmaと同一人物とされているが,伝記中の事跡はかなり潤色,神秘化され,その実在すら疑われている。しかし現代では敦煌出土(→敦煌莫高窟)の資料から『二入四行論』ほかを説いたことなどが明らかにされている。『続高僧伝』によれば,達磨は南インドのバラモンの家に生まれ,大乗仏教に志し,海路から中国に渡り,北方の魏に行った。武帝に召されて金陵に赴き,禅を教えたが,機縁がまだ熟していないのを知ってただちに去り,洛陽東方の嵩山の少林寺に入り,壁に向かって坐禅した(壁観)。慧可が来て教えを求め,腕を切り取ってその誠を示したので,ついに一宗の心印を授けたという伝説がある。壁観の面壁九年の伝説から,後世日本では手足のないだるま像がつくられ,七転び八起きの諺となった。

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百科事典マイペディア 「達磨」の意味・わかりやすい解説

達磨【だるま】

中国禅宗の祖とされる僧。菩提(ぼだい)達磨Bodhidharma。インド生れ。470年ごろ(異説が多い),海路南中国に入り,嵩山(すうざん)少林寺で面壁9年,法を慧可(えか)に伝えた。伝記には不明な点が多く,著書も《少室六門集》などが伝えられるが,疑わしい。
→関連項目拳法座禅少林寺禅宗達磨道釈画仏教

達磨【だるま】

達磨の座禅にちなみ,手足のない赤い衣をまとった僧の姿の人形。底を重くして倒れてもひとりでに起きる起上り小法師(こぼし)の一つ。商売繁盛,開運出世の縁起物として喜ばれ,目のない達磨に満願のとき目を書く風習がある。郷土玩具(がんぐ)として張り子製のものが各地で作られ,達磨市の立つ地方が多い。松川達磨(仙台),目無し達磨(群馬県豊岡,現・高崎),子持達磨(甲府),姫達磨(松山)などが著名。

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旺文社世界史事典 三訂版 「達磨」の解説

達磨
だるま

生没年不詳
中国禅宗の始祖。正しくは菩提 (ぼだい) 達磨という
南インドの人。6世紀初め海路中国に渡り,梁の武帝の尊敬を受けた。河南省嵩山 (すうざん) の少林寺にはいり,禅の実践による仏教真理の体験を主張。その教えは唐代に確立した。

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世界大百科事典(旧版)内の達磨の言及

【法】より

…サンスクリットのダルマdharmaの訳で,その音から〈達磨(摩)(だつま)〉〈曇摩(どんま)〉などとも記される。原語は〈保つ〉の意味から生じた語で,秩序を保つもの・法則慣習などを意味した。…

【慧可】より

…のちに中国禅宗の二祖として,大祖禅師の諡号(しごう)をうける。洛陽虎牢の人,姓は姫,はじめ神光と名のり,老荘と伝統仏教を習うが,インドより来た菩提達磨の禅をうけ,洛陽と河北の地方で,新仏教を広める。のちに二祖調心とよばれて,一般市民とともに,苦行労働に従ったこと,とくに最後に対立者側の告訴で非業の死をとげるなど,生没年その他,伝説的な傾向が強い。…

【拳法】より

…広義には世界各地にある徒手の武術を含めて考えられるが,一般的には,中国で体系化され発展した武術をさす。中国武術の歴史は非常に古く,史実かどうか疑わしい俗説や伝説も多いが,拳法を中国に伝えたのは達磨(だるま)大師であるという説が最も有名である。520年ころ,インドから嵩山(すうざん)少林寺に来た達磨大師はここで面壁(めんぺき)し,仏法を説くかたわら,修行僧に《洗髄経》《易筋経》の2経を与え,心身鍛練の秘法を授けたといわれる。…

【人相学】より

…その後,晋の時代にも相術は発展し続けたが,門外不出の仙術だった。南北朝時代には,梁の武帝のときインドから達磨(だるま)が来て仏教を伝えたが,相術が示す現世の運勢を重視する風潮には争いがたく,禅宗の始祖も9年間面壁の修業を余儀なくされた。この間に達磨は相術も研究し,後に仏教を広める際の手段としてこれを用いた。…

【達磨】より

…禅宗の初祖。達磨はダルマDharmaの音訳。菩提達磨と呼ぶのが正しく,古くは達摩と書き,円覚大師,聖胄大師と諡(おくりな)される。…

※「達磨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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