遠州流(茶道)(読み)えんしゅうりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「遠州流(茶道)」の意味・わかりやすい解説

遠州流(茶道)
えんしゅうりゅう

小堀遠州(1579―1647)を流祖とする茶道流派の一つ。古田織部(おりべ)の跡を受けて徳川3代将軍家光(いえみつ)の茶道師範となった遠州が、大名茶全盛の時代に台子(だいす)を中心とした「きれいさび」の茶法を開いたといわれる。それは、古典美を発揚した茶室、鎖の間(くさりのま)、書院を一体化する数寄屋(すきや)建築に表され、その茶法は藤原定家(ていか)に私淑するところから出た王朝趣味に基づいている。その精神は、茶の湯の道は人倫の道に通じるとする「書捨(かきすて)の文(ふみ)」によって知ることができる。これが子孫に受け継がれ、現在に至っている。2世正之(まさゆき)(1620―1674)は遠州の嫡子。父の遺領を継いで近江(おうみ)小室(こむろ)に居館した。このおり立花丸壺(つぼ)、牧谿(もっけい)筆『朝陽図』など13点の道具を父の遺物として将軍家に献じている。宗慶と号す。その弟政尹(まさただ)は権十郎の名で知られている。3世和泉守政恒(いずみのかみまさつね)(1649―1694、宗実)、4世遠江守(とおとうみのかみ)政房(1685―1713、宗瑞(そうずい))、5世備中守(びっちゅうのかみ)政峰(1690―1760、宗香)、6世大膳亮政寿(だいぜんのすけまさひさ)(1734―1804、宗延)を経て、7世備中守政方(まさみち)(1742―1803、宗友)は5世政峰の六男として生まれ、備中守、和泉守と号して伏見奉行(ふしみぶぎょう)を務めた。在勤中に罪を得た政方は、1788年(天明8)領地を没収され、大久保加賀守忠顕(ただあき)に預けられたが、没年の1803年(享和3)にお預け御免となる。8世政優(まさやす)(1786―1867)は6世政寿の子として生まれ、宗中と号す。1828年(文政11)本家小堀氏の名跡を復興して中興となる。以後、9世正和(まさかず)(1812―1864、宗本)、10世正快(まさのり)(1858―1909、宗有)、11世正徳(まさのり)(1888―1962、宗明)、12世正明(まさあき)(1923― 、宗慶)、13世正晴(まさはる)(1956― 、宗実)と続く。

[筒井紘一]

『森蘊著『小堀遠州』新装版(1988・吉川弘文館)』

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