都家 文雄(読み)ミヤコヤ フミオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「都家 文雄」の解説

都家 文雄
ミヤコヤ フミオ


職業
漫才

肩書
関西演芸協会会長

本名
苗村 正次

生年月日
明治26年 3月1日

出生地
滋賀県

経歴
落語家の三遊亭円若の門に入り、桂歌治を名乗る。やがて漫才に転じ、上方独特の“ぼやき漫才”を創り出した。妻の都家静代の没後は一人で漫談を演じたが、芦乃家雁玉、荒川歌江ともコンビを組んだ。また関西演芸協会会長を長くつとめ、門下に同じく“ぼやき漫才”で知られる人生幸朗・生恵幸子らを輩出した。没後の平成16年上方演芸の発展に尽くした故人を顕彰する上方芸能の殿堂入りを果たした。

受賞
大阪府民劇場賞〔昭和41年〕

没年月日
昭和46年 5月4日 (1971年)

伝記
決定版 上方芸能列伝上方芸能列伝上方芸能列伝 澤田 隆治 著澤田 隆治 著澤田 隆治 著(発行元 筑摩書房文芸春秋文芸春秋 ’07’96’93発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「都家 文雄」の解説

都家 文雄
ミヤコヤ フミオ

昭和期の漫才師 関西演劇協会長。



生年
明治26(1893)年3月1日

没年
昭和46(1971)年5月4日

出生地
滋賀県

本名
苗村 正次

経歴
三遊亭円若門下で桂歌治という落語家となったが、昭和初期からの落語人気凋落で漫才へ転業、都家美智代と相方を組んだ。当時、漫才はエンタツ、アチャコの出現日の出の勢いだったが、漫才転業組の多くが落ちこぼれていった時代に創り出したのが“ぼやき漫才”。後に相方は都家静代、芦乃家雁玉、荒川歌江と代わるが、鋭い警句を発しつづけて高い人気を維持する。関西演芸協会の会長を長くつとめ、門下に同じ“ぼやき漫才”コンビの人生幸朗・生恵幸子らが輩出した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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