都留市(読み)ツルシ

デジタル大辞泉 「都留市」の意味・読み・例文・類語

つる‐し【都留市】

都留

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日本歴史地名大系 「都留市」の解説

都留市
つるし

面積:一六一・五八平方キロ

県の南東部に位置し、市域はほぼ逆三角形を呈する。北は大月市、東は南都留郡秋山あきやま村、南東は同郡道志どうし村、南は同郡山中湖やまなかこ村、南西は同郡忍野おしの村・西桂にしかつら町、富士吉田市、西は南都留郡河口湖かわぐちこ町に接する。市域の大部分を山地が占め、南端の石割いしわり(一四一三メートル)、北西端の三ッ峠みつとうげ山、北端の高川たかがわ(九七五・七メートル)九鬼くき(九七〇メートル)、東端の赤鞍あかくらヶ岳(一二九九メートル)、南東端の御正体みしようたい(一六八一・六メートル)などがそびえる。市域の中央部北西寄りを、南西から北東にかけて桂川が蛇行しながら流れ、桂川およびその支流の朝日あさひ川・菅野すげの川・鹿留ししどめ川・柄杓流ひしやくながし川・大幡おおはた川などの流域に平坦地がみられる。富士道とほぼ重なる国道一三九号が桂川沿いを走り、これと併行・交差しながら走る中央自動車道富士吉田線には、都留市街の北方に都留インターチェンジがある。富士急行線は両道に並行し、大月市と富士吉田市・河口湖町を結ぶ。市名の由来は古代以来の都留郡の郡名にちなむ。

〔原始〕

桂川およびその支流域には河岸段丘が発達し、数多くの遺跡が立地している。市域では現在までのところ約九〇の遺跡が確認されている。市内最古の遺跡は県道都留―道志線の道坂どうざかトンネル西側の一杯窪いつぱいくぼ遺跡で、ガラス質凝灰岩製の縦長の剥片とその石核が多数採取され、その後の調査によって二千六〇〇点以上に及ぶ縦長の剥片類と石器工房跡と思われる遺構が検出された。縄文時代の遺跡は、市域で三四ヵ所確認され、うち発掘調査が実施されたのは一三遺跡である。同時代最古の住居跡は標高約七〇一メートルの生出山山頂おいでやまさんちよう遺跡で発見されたもので、早期初頭の楕円押型文土器を伴い、不整方形のプランを呈し、地床炉をもつ。これに続くものは縄文時代前期末葉の小形山おがたやま地内大日影おおひかげ遺跡で、十三菩提式土器を伴う住居跡が一軒検出されている。住居跡の数が増えるのは中期になってからである。同期の遺跡としては、中期中葉の新道式・藤内式土器がまとまって発見され、関東地方と中部地方との間にあって両者の交流を物語るとして注目された中溝なかみぞ遺跡、縄文時代前期から中期後葉までの住居跡が三四軒検出された久保地くぼち遺跡、中期から晩期におよぶ住居群と配石遺構・石棺墓群が検出された尾咲原おさきはら遺跡、直径約五〇メートルにもおよぶ大環状配石遺構が検出された牛石うしいし遺跡などがある。後期の遺跡は配石遺構が検出された中谷なかや遺跡、配石遺構・石棺墓が検出された尾咲原遺跡などで、同遺跡で発見された後期・晩期の石棺墓は三十数基におよんだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「都留市」の意味・わかりやすい解説

都留〔市〕
つる

山梨県南東部,都留盆地にある市。 1954年谷村町と宝,禾生 (かせい) ,盛里,東桂の4村が合体し市制。地名は古代以来の郡名による。御坂山地丹沢山地にはさまれ,耕地は桂川の河岸段丘と支流の谷沿いにわずかに開ける。早くから養蚕が盛んで,甲斐絹 (かいき) の発祥地といわれ,近世には江戸,京,大坂にも出荷された。中心市街地谷村は文禄3 (1594) 年浅野氏の築城により城下町として発展。近世には代官所がおかれ,甲斐絹の集散地となるなど桂川流域の中心地として繁栄した。現在も伝統産業として定着している。農村部では米作のほか養蚕も行われる。電気機器・金属関連の工業が立地する一方,首都圏の近郊住宅地化も進んでいる。毎年9月に行われる四日市場の生出 (おいで) 神社の八朔祭と,同時に催される輿の巡幸及び大名行列は有名。桂川に沿って富士急行,国道 139号線,中央自動車道が通り,インターチェンジがある。面積 161.63km2。人口 3万1016(2020)。

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