酪農(読み)らくのう

精選版 日本国語大辞典 「酪農」の意味・読み・例文・類語

らく‐のう【酪農】

〘名〙 主生産物として、牛・羊などの乳をしぼり、加工してバター・チーズ・練乳などの乳製品をつくる農業。
※しろうと農村見学(1954)〈桑原武夫〉「関東の酪農などはもう危機がきている」

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デジタル大辞泉 「酪農」の意味・読み・例文・類語

らく‐のう【酪農】

牛・羊などを飼育して、飲用乳や乳製品の原料となる乳を生産したり、乳を精製・加工して製品としたりする農業。
[類語]農業農林畜産

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「酪農」の意味・わかりやすい解説

酪農
らくのう

酪農とは、英語のデイリーdairyの訳語で、乳用家畜(主として乳牛)を飼育して乳や乳製品を生産する農業をいう。広義には生産・加工から販売・配達までを含めて用いることもある。酪という字は乳を乳酸発酵させた飲料を意味し、酥(そ)や醍醐(だいご)とともに一種の乳製品である。1882年(明治15)に出版された『農業捷径(しょうけい)』には「酪農とは搾乳・乳汁の取扱い、乳脂・乳酪・乾酪の製造等を司(つかさど)るものなり」と定義されている。

[正田陽一]

世界の酪農

家畜の乳の利用は紀元前3000年ごろには始まっている。メソポタミアのシュメール人はこのころ牛乳を搾り、神に捧(ささ)げ、王侯・貴族は飲用に供していた。エジプトでも前2100年ごろ、王に牛乳を勧めている図が遺跡のレリーフに残されている。ヨーロッパへは前2000年代の青銅器時代にもたらされたと考えられる。古代ゲルマン人にとって牛乳が重要な食品であったことは、北欧の神話で最初の人間が雌牛の乳で育てられたとされていることにも示されている。しかし産業としての酪農業が確立されたのはずっと後年で、13~14世紀のヨーロッパにおいて中世の都市の興隆に伴ってオランダを中心として酪農が開始された。15世紀ごろにはバルト海沿岸諸国へ盛んに乳製品を輸出していたことが記録に残されている。18世紀後半の産業革命に続いて、飼料カブを作目の一つに加えた輪作式有畜農法が普及し、ヨーロッパの近代酪農は飛躍的な発展を遂げることとなった。20世紀に入ってからは北アメリカ、ブラジルオーストラリアニュージーランドなどでの牛乳生産が急速に伸び、また旧ソ連においても生産の増大が顕著になっていた。

 主要酪農国の特徴を比較すると、オランダは乳牛の代表品種ホルスタインの原産国として名高く、またエダムチーズゴーダチーズなどの著名なチーズを製産している。デンマークは農業協同組合組織が発達し、牛乳・乳製品の生産・輸出で知られている。また酪農副産物を利用しての養豚業も発達している。フランスはEU諸国有数の酪農国で、ウシ、ヒツジの飼養頭数も多く、羊乳を原料としたロックフォールチーズをはじめ200種以上のチーズを生んでいる。スイスはアルプスへの放牧による高原酪農で知られており、エメンタールチーズグリュイエールチーズなども名高い。アメリカは五大湖の南のコーンベルトが酪農の中心地で、乳専用タイプで大形のホルスタインを飼育している。オーストラリアの酪農家は大部分が牛舎をもたず、ミルキングパーラーで搾乳している。

[正田陽一]

日本の酪農

わが国で牛乳が初めて飲用に供されたのは7世紀ごろである。高句麗から入った医書により日本に伝えられた牛乳の医薬としての効能は、呉(ご)の国の渡来人智聡(ちそう)に受け入れられ、その子福常が孝徳(こうとく)天皇に牛乳を献じて和薬使主(やまとのくすしのおみ)の姓を賜り、乳長上(ちちのおさのかみ)の職が与えられた。このころから加工品である酪・酥・醍醐の利用が始まっている。江戸時代にも8代将軍徳川吉宗(よしむね)のときに現在の千葉県にある牧場で白牛酪(はくぎゅうらく)をつくらせているが、このころまでは乳製品も医薬としての利用が中心で、食品としての利用はなかった。日本に初めて輸入された欧米の改良品種のウシは、1873年(明治6)にアメリカ人で教師をしていたダンEdwin Dunが導入した40頭のショートホーンであった。その後、明治政府はエアーシャー奨励品種として指定したが、これは体質強健で粗飼に耐える長所をもち、乳頭が粗大でなく、小柄の日本人の手で搾乳するのに適すると思われたからである。しかしその後に民間の手で輸入されたホルスタインに乳量の点で劣ったため、やがてホルスタインに置き換えられていった。

 牛乳販売店の第1号がつくられたのは1863年(文久3)のことで、前田留吉(とめきち)が横浜に開いたものであった。明治時代の中ごろから大都市には飲用牛乳の需要がぼつぼつと出てきて、この需要に応ずる専業搾乳業者が大都市近郊に生まれてきた。これは泌乳中の乳牛だけを集めて搾乳し、泌乳期を過ぎると売却して、新たに泌乳中のウシを購入するいわゆる一腹(ひとばら)搾りという形態で、消費地への輸送の便という特色はあったが、都市の近代化や道路網の発達により姿を消しつつある。この形態は大規模な乳肉複合経営に多少残っている。

 1925年(大正14)、北海道に産業組合法による北海道製酪販売組合連合会が創設されて、酪農民自身によるバターの製造事業が開始され、これがのちに雪印(ゆきじるし)乳業株式会社の母体となった。一方、昭和の初期に北日本を襲った冷害による凶作は有畜農業を推進するきっかけとなり、稲作を中心とする耕種農業のかたわら少数の乳牛を飼う水田酪農が徐々に各地に普及浸透していった。44年(昭和19)には乳牛の飼養頭数は従来の最高の26万頭に達した。第二次世界大戦の末期から、日本の酪農は急速に凋落(ちょうらく)したが、戦後は食生活の欧風化に伴うパン食の普及と並行して牛乳の消費が伸び、ふたたび酪農は隆盛を取り戻した。乳牛の飼養頭数も50年(昭和25)に19万8000頭であったものが、86年には210万3000頭と10倍以上に達し、その後は伸び悩んで99年(平成11)には182万頭と減少している。牛乳の生産量も865万5000トン(1999)を生産するようになった。1960年までは酪農家の戸数も増加していたが、それ以降は経営の専業化と規模拡大が進んで戸数は減少の傾向にある。73年のオイル・ショック以後、牛乳消費の増加率は鈍化する一方、生産はますます増強されたため、バター・脱脂粉乳などの滞貨がみられるようになり、79年から生産調整が酪農団体の手によって行われている。

 多頭化による経営の合理化が進められた結果、1986年には、全国平均で1飼養家当り搾乳牛13.9頭とフランス並みの頭数規模となり、北海道の平均は21.2頭とデンマークにほぼ匹敵することとなった。98年では1飼養家当りの搾乳牛は全国平均で27.6頭と、規模が拡大する傾向にある。飼育管理の方法も機械化が進んで、ミルカーによる機械搾乳や畜舎清掃のためのバーンクリーナーも普及して省力化が進んでいる。繁殖も人工授精で行われることが多い。乳牛が生産する子ウシは、雌は更新のための後継牛として育成されるが、雄は肉用に売却される。最近では、雄の子ウシや老廃牛の肥育を酪農と複合で行う乳肉複合経営の酪農家が大部分を占める。

 北海道は日本随一の酪農地帯で、乳牛飼養の基盤となる牧野面積も広く、乳牛1頭当りの草地面積が約46アールで、オランダのレベルに近い。岩手、宮城、福島、群馬、千葉、神奈川、長野、兵庫などの諸県も酪農が盛んであるが、都府県の草地面積は乳牛1頭当り約4アールと極端に少なく、そのため購入飼料費を多額に要し経営を苦しくしている。

[正田陽一]

『広瀬可恒・鈴木省三編著『新編酪農ハンドブック』(1990・養賢堂)』

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改訂新版 世界大百科事典 「酪農」の意味・わかりやすい解説

酪農 (らくのう)
dairy

〈酪〉という字は,〈牛,羊,馬などの乳から作った飲料,またバターの類〉を指すという。同義の語に〈酥〉があり,〈醍醐〉がある。醍醐となると乳製品のなかでも“精”なるものとされる。英語のdairyの訳語としてこのなかから〈酪〉がとられ,酪農という言葉が作られたのだが,dairyはふつう,(1)乳牛の搾乳をする場所,(2)牛乳を加工し,バター,チーズなどの乳製品を製造する場所,(3)乳製品製造業,(4)乳牛を飼い,牛乳生産や牛乳加工をしている農場,(5)前記にいる乳牛,という意味をもっている。バターやチーズを作る仕事はもともと,乳牛を飼い牛乳を搾る農場での牛乳生産に不可分にくっついており,農業生産の一部だったのである。それが,商品経済の深化とともに農場での仕事ではなくなり,農場から原料牛乳を買って加工する乳製品製造工場の仕事になったのであって,dairyという語の多義性には,農業生産から乳製品製造が分離して一つの産業として独立していったその歴史が内包されているわけである。その訳語として〈酪農〉という言葉が日本で使われるようになるのは明治10年代からだが,〈酪農トハ搾乳・乳汁ノ取扱,乳脂,乳酪,乾酪ノ製造等ヲ司ルモノナリ〉(《農業捷径》1882)という表現が示すように,当時から搾乳と乳製品製造の両方を包含する言葉として使われてきた。今日でも,狭義には乳牛をとりこんだ農業経営のことを,広義には牛乳生産から乳製品製造,その販売までを含む言葉として使われている。

酪農はもともとヨーロッパに始まったものであり,ホルスタインやシンメンタールなどの乳牛,ゴーダ,エダム,カマンベールといったチーズの製法など,いずれもヨーロッパで作られた。生まれたばかりの子牛の食料である牛乳は,人間の母乳と同じように,栄養のバランスがよく完全食品といわれる。牛乳・乳製品は栄養改善のための必須食品とされ,ヨーロッパから世界中にその生産が広がり,現在ではヨーロッパの牛乳生産は世界の40%程度になっている。20世紀に入ってから,とくに北アメリカ,オーストラリア,ブラジル,ニュージーランドなどのいわゆる新大陸諸国での牛乳生産が著しく伸び,また旧ソ連諸国などでも近年顕著に生産を増大させている。1995年の世界の牛乳生産量は4億6575万tだが,上位10ヵ国をあげると,アメリカ(7060万t),ロシア(3910万t),インド(3200万t),ドイツ(2800万t),フランス(2580万t),ブラジル(1740万t),ウクライナ(1706万t),イギリス(1467万t),ポーランド(1171万t),オランダ(1090万t),となる。同じ年の日本の生産量は840万tだった(FAO資料による)。

 主要国の国民栄養のなかで,牛乳・乳製品がどの程度のウェイトをもっているかをみよう。フィンランド,ノルウェー,スウェーデンの北欧三国では栄養摂取量に占める牛乳・乳製品の割合が熱量の20%以上,タンパク質の35~40%,脂質の30%前後を占め,栄養構成上ことさらに重要性をもっているが,アメリカ,イギリス,ドイツ,フランスなどでも熱量の15%前後,タンパク質の25%前後,脂質の20%前後を占め,重要な基本食品となっている。

これら欧米諸国に比べ,日本は摂取量も,またそれぞれの構成比も極端に低い(熱量,タンパク質,脂質いずれも5%前後)。欧米に比べれば格段に消費量が少ないのであるが,それでも牛乳・乳製品はとくに1960年以降,日本では消費が最も増大した食品である。牛乳や乳製品が消費された記録は日本でも1300年以上もさかのぼることができ,帰化人福常(善那ともいう)が孝徳天皇(在位645-654)に牛乳を献じたという。しかしそれはもっぱら医薬用としてであって,明治時代になるまでそうであった。1887年ころから,文明開化を代表する食品として一般に消費されるようになるのだが,1939年でようやく年間1人当り3.8kgという消費量でしかなかった。それが65年にはその約10倍になるが(37.4kg),それはパン食の普及と並行して増えたのであり,このころから食品として日常生活に定着したとしていいであろう。学校給食がこの定着には大きく寄与した。73年の石油危機以降は増加のスピードが鈍っており,とくにマーガリンに押されたバターに消費鈍化が著しいが,全体としてはまだ消費は増大している(1992年には68.0kg)。

 牛乳・乳製品の消費増大につれての酪農経営の展開をみておこう(図)。1950年13万3000戸で19万8000頭の乳牛を飼い,36万7000tの牛乳を生産していたレベルからスタートして,95年では4万4000戸の酪農家が195万1000頭の乳牛を飼い,840万tの牛乳を生産するようになった。1960年までは酪農家戸数が増加して牛乳生産を増大した外延的拡大期であり,60年以降は酪農経営としての専業化が目指され,戸数は減少するものの1戸当り飼養頭数が増え,総頭数も牛乳生産量も急増した。73年の石油危機以後,需要の増加率は鈍化するものの酪農経営としての確立が進んで供給力は強くなっているため,バター,脱脂粉乳などの滞貨がみられるようになった。この構造的過剰に対処するため,79年から生産抑制的計画生産が酪農団体の自主的取組みとして行われている。

 牛乳・乳製品のもつ国民食料としての重要性にかんがみ,牛乳生産を安定的に発展させるために,1954年に〈酪農振興法〉が公布され(1983年,〈酪農及び肉用牛生産の振興に関する法律〉に改正),61年には〈畜産物の価格安定等に関する法律〉(通称,畜安法)が,さらに65年に〈加工原料乳生産者補給金等暫定措置法〉(通称,不足払法)が公布された。とくに不足払法は市場から遠いため飲用乳として出荷できず,不利な原料乳価格を強いられてきた原料乳地帯(とくに北海道)の酪農経営の安定化に大きく寄与した。が,不足払いには当然財政負担をともなうため,財政危機下ではその効果は制約されることになる。構造的過剰下で酪農民団体による計画生産が行われなければならなくなったことは,その限界を示す。

 急速に成長した日本の酪農経営の到達レベルを,ヨーロッパの国々と比べてみよう(数字は1979年)。頭数規模では全国平均(13.3頭,95年全国平均は44.0頭)が西ドイツよりも大きくフランス並み,北海道(22.9頭)がオランダ,イギリスには及ばないがデンマーク並みとみてよい。経産牛1頭当り乳量(1年間)は都府県(4923kg),北海道(5176kg)とも高いようにみえるが,乳脂率が低いので,ほぼヨーロッパと同じレベルとみてよい。こうした指標からは,酪農経営はいちおうヨーロッパ・レベルに達したといえそうである。が,乳牛飼養の基盤となる牧草地面積になると1頭当り面積にみるように,北海道(46.1a)はオランダ・レベルに接近しつつあるが,都府県(3.9a)は極端に少ない。飼料基盤を欠いた都府県の酪農は,購入濃厚飼料を多給せざるをえず,また糞尿処理に多くの費用をかけなければならない。飼養規模の零細性がそれに加わるので,どうしても高コストになる。
畜産 →乳業
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百科事典マイペディア 「酪農」の意味・わかりやすい解説

酪農【らくのう】

乳牛を飼育して牛乳および乳製品の生産を行う農業経営。近代的酪農は,早くから有畜の輪栽式農法を行い,畜産物を日常の食品としていたヨーロッパで農業革命後に発展した。日本では明治に乳牛が欧米から導入され,牛乳と乳製品の生産が開始されたが,当初は農業経営とは無縁の専業的なものであった。第1次大戦前後から政府の保護育成政策と農村の不況,北日本の凶作などの対策として有畜農業が普及し,農民による酪農業も発展した。第2次大戦で一時衰退した酪農は戦後,牛乳・乳製品の需要増大と酪農振興法の制定などの振興政策により急速に進展した。一般に乳牛は冷涼な気候を好み,また多量の飼料を必要とするため高冷地での粗飼料を主体とした飼養方式が多く行われている。一方で牛乳運搬の便利さなどにより都市近郊にも多く,この場合は舎飼で濃厚飼料が主体となる。1960年代に専業化が進み,飼育戸数の減少と多頭化・合理化がみられたが,1970年代には過剰化による生産抑制,1980年代以後は貿易自由化に直面,酪農と肥育の兼営も増加している。
→関連項目混合農業サイレージサイロ畜産

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「酪農」の意味・わかりやすい解説

酪農
らくのう
dairy

乳牛を飼養し牛乳を生産する農業経営,または牛乳を加工してバターやチーズを製造する農場,牛乳や乳製品を販売,配達する施設をもいう。酪農はヨーロッパで 13~14世紀にオランダを中心に始り,18~19世紀の農業革命によって近代酪農として発展し,続いてアメリカ,オーストラリアに普及した。現在,オランダ,デンマーク,スイスは乳製品,チーズの生産で有名であり,またアメリカは世界一の酪農生産国である。日本では,千数百年前乳牛を飼い,酪や酥 (そ) と呼ぶ乳製品をつくったと伝えられるが,産業としての酪農は 1887年頃から始った。

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