20世紀日本人名事典 「野中 至」の解説
野中 至
ノナカ イタル
明治〜昭和期の気象学者 高山気象観測の開拓者。
- 生年
- 慶応3年8月22日(1867年)
- 没年
- 昭和30(1955)年2月28日
- 出生地
- 筑後国早良郡鳥飼村(福岡県)
- 本名
- 野中 到(ノナカ イタル)
- 別名
- 幼名=滝太郎
- 学歴〔年〕
- 大学予備門(現・東大)中退
- 経歴
- 初め医学を志し大学予備門に入ったが、中退し富士山頂に観測所設置を計画、中央気象台の和田雄治の指導を受け、明治28年の1月と2月、2回にわたって冬期の富士偵察を行い越冬の可能性を確認。同年8月資材を運び上げ、10月から単身で1日12回の観測を始めた。妻の千代子も夫と共に山頂に登り、2人で観測に当たったが、12月病に倒れ、和田らの説得で下山、冬期観測は82日間に及んだ。その後山麓の中畑に住み再挙を図ったが達成できなかった。この夫妻の業績について落合直文は「高嶺の雪」、橋本英吉が「富士山頂」を書き映画化され、新田次郎は「芙蓉の人」に描いた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報