野口 英世(読み)ノグチ ヒデヨ

20世紀日本人名事典 「野口 英世」の解説

野口 英世
ノグチ ヒデヨ

明治〜昭和期の細菌学者



生年
明治9年11月9日(1876年)

没年
昭和3(1928)年5月21日

出生地
福島県耶麻郡猪苗代町

学位〔年〕
マスター・オブ・サイエンス(ペンシルベニア大学)〔明治40年〕,医学博士(京都帝大)〔明治44年〕,理学博士(東京帝大)〔大正3年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院恩賜賞〔大正4年〕,勲四等旭日小綬章〔大正4年〕

経歴
福島県に貧農の子どもとして生まれる。生後1歳半の時に誤っていろりに落ち、左手に大やけどを負う。左手が不自由になったため学問で身を立てようと勉学に励み、恩師の援助により猪苗代高等小学校に入学。高小時代、仲間の援助により会津若松市の病院で左手の手術を受けて医学の素晴らしさに目覚め、医師を志す。明治29年上京、高山歯科医学院の学僕となり、30年済生学舎に学ぶ。同年医術開業試験に合格。31年伝染病研究所助手補となり、北里柴三郎師事。同年名前を清作から英世に改名。細菌学の研究に従事し、横浜の長浜海港検疫所医官補などを務める。33年渡米、ペンシルベニア大学で病理学のフレクスナー教授の助手となり、蛇毒の研究を行う。デンマーク国立血清研究所に1年間留学したあと、37年新設のロックフェラー医学研究所員となり、44年梅毒病原体スピロヘータ純粋培養に成功する。大正2年進行性麻痺・脊髄癆が梅毒スピロヘータに起因すること発見し、世界にその名を知られ、ノーベル賞候補にも挙げられた。7年エクアドルで黄熱病の病原体を発見したと発表。昭和2年黄熱病が発生した西南アフリカに渡り、自らの発見の証明に尽力するが、研究中に感染し死去した。その後、黄熱病病原体は細菌ではなくウイルスであることが判明し、他の野口の発見の多くも否定された。平成14年新千円札の肖像に選ばれた。横浜市金沢区長浜に長浜野口英世記念公園、福島県猪苗代町三ツ和に野口英世記念館がある。平成9年生誕120年を記念してガーナ切手が発行される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「野口 英世」の解説

野口 英世 (のぐち ひでよ)

生年月日:1876年11月9日
明治時代-昭和時代の細菌学者
1928年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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