野呂天然(読み)のろ・てんぜん

朝日日本歴史人物事典 「野呂天然」の解説

野呂天然

没年天保5.3.15(1834.4.23)
生年明和1(1764)
江戸後期の漢蘭折衷医。江戸生まれ。名は真空,通称は雄,号は無量。官途を志し地方役人になったが,出世の道をはばまれて医に転じる。市井に隠れて蟄居し,和漢洋医書に親しむ一方で,生獣・刑屍をしばしば解剖して知見を深めた。のち京都に上って著訳述,医療に専念。難解な術語を造語した解剖書『生象止観』や,すぐれた内科診断書『方鏡独見』を著して独自の学風に達したが,性格が狷介・剛直で当時の医界に容れられず,その学統は続かなかった。京都で没し,新京極・西光寺に葬られた。<参考文献>阿知波五郎「野呂天然について」(『医譚復刊』23号)

(宗田一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野呂天然」の解説

野呂天然 のろ-てんぜん

1764-1834 江戸時代後期の医師
明和元年生まれ。地方役人から医に転じ,和漢洋の医書を研究。生獣や刑死者の死体をしばしば解剖し,「生象止観」をあらわした。天保(てんぽう)5年3月15日死去。71歳。江戸出身。名は真空。通称は雄。別号に無量。著作に「方鏡独見」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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