野間三竹(読み)のま・さんちく

朝日日本歴史人物事典 「野間三竹」の解説

野間三竹

没年:延宝4.8.17(1676.9.24)
生年:慶長13(1608)
江戸前期の儒医。名は成大,字は子苞,号は柳谷,静軒。野間玄琢の子。京都生まれ。寛永13(1636)年法橋,同15年法眼,同17年江戸幕府の奥医師に列し,東福門院(秀忠の娘・和子)の所属となり,以後隔年江戸に出仕正保3(1646)年家督を継ぎ,寛文8(1668)年法印に進んだ。父玄琢の遺稿増訂編集した『群方類稿』全63巻(失伝)をはじめ医書,詩稿,文集など多くの著作をなした。父子ともに蔵書に富み「白雲書庫」の蔵書印を使用。病死とされるが,実は悪口癖があり,小姓を罵倒して恨みを買い,刺殺されたとも伝えられる。以後野間家は代々幕府医官として仕え,幕末に至った。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野間三竹」の解説

野間三竹 のま-さんちく

1608-1676 江戸時代前期の医師,儒者
慶長13年生まれ。野間玄琢(げんたく)の長男。奥医師として東福門院につかえ,父の号寿昌院をつぎ,法印にすすむ。儒学松永尺五(せきご)にまなび,漢詩人石川丈山と親交をむすんだ。延宝4年8月17日死去。69歳。京都出身。名は成大。字(あざな)は子苞。号は静軒,柳谷,潜楼。著作に「古今考」「沈静録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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