改訂新版 世界大百科事典 「金城公主」の意味・わかりやすい解説
金城公主 (きんじょうこうしゅ)
Jīn chéng gōng zhǔ
生没年:?-739
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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【歴史】
チベット人が仏教と接触したのは,ソンツェン・ガンポ王の晩年,唐とネパールから迎えられた王妃がそれぞれ,ラモチェ(小招寺),トゥルナン(大招寺)の2寺を建立したのに始まる。崇仏の習慣は王室に残され,710年にこの国に至った金城公主の影響でさらに盛んになった。その夫である王の晩年,タクマルに2寺が建てられ,仏教を学ぶために若者が数人唐に遣わされて成都浄衆寺の金和尚(無相)から禅の教えを受けて帰国したといわれる。…
※「金城公主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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