鈴木重遠(読み)すずき・しげとお

朝日日本歴史人物事典 「鈴木重遠」の解説

鈴木重遠

没年:明治39.4.7(1906)
生年:文政11.11.29(1829.1.4)
明治期の政党政治家。松山藩士鈴木起勝の4男として江戸で出生,昌平坂学問所に学ぶ。用人,執政を経て維新後藩大参事。明治11(1878)年海軍省属官。20年旧藩主の内命により旧松山藩士族の団結促進のため大同団結運動に参加,21年県議当選。第1回総選挙(1890)より5回,衆院議員当選。第1議会当時自由党に属したが早くから独自の動きを示し,巴倶楽部,立憲革新党などに属したがやがて進歩党結成に参加,その愛媛支部長となる。以後一時無所属となったが,憲政本党,三四倶楽部に所属。大日本協会や対露同志会にも関係を持った対外硬派一員でもあった。

(村瀬信一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木重遠」の解説

鈴木重遠 すずき-しげとお

1828-1906 幕末-明治時代武士,政治家。
文政11年11月19日生まれ。伊予(いよ)松山藩家老,大参事。明治11年海軍省にはいり,20年退官。自由民権運動に従事し,23年衆議院議員(当選5回)。自由党,進歩党,憲政本党などに所属。対露同志会などに参加。明治39年4月7日死去。79歳。通称は七郎右衛門。号は梁坡。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android