鈴木 貫太郎(読み)スズキ カンタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鈴木 貫太郎」の解説

鈴木 貫太郎
スズキ カンタロウ


肩書
第42代首相,枢密院議長

生年月日
慶応3年12月24日(1868年)

出生地
和泉国大鳥郡久世村(大阪府)

出身地
千葉県

学歴
海兵(第14期)〔明治20年〕 海大〔明治31年〕卒

経歴
関宿藩(千葉県)領地の和泉国久世村(大阪府)の生まれ。明治27年日清戦争に対馬水雷艦隊長として参加、日露戦争にも出撃した。大正3年大隈内閣の海軍次官となり、シーメンス事件後の海軍粛正を行なう。海軍兵学校長、第二、第三艦隊司令長官、呉鎮守府司令長官などを歴任し、12年海軍大将となる。13年連合艦隊司令長官、軍事参議官を経て、14年軍令部長に就任。昭和4年予備役編入され、同時に侍従長兼枢密顧問官に任ぜられ、昭和天皇の側近に長く仕えた。11年2.26事件では反乱将校に襲撃され、ピストル乱射を受けるが、一命をとりとめる。この年侍従長を辞任、同年11月男爵。15年枢密院副議長、19年議長。20年4月組閣の大命を拝受し、首相となる。同年8月15日、“天皇による終戦”“玉音放送”を演出し、同日内閣総辞職。同年12月から翌21年6月までふたたび枢密院議長をつとめたあと、あらゆる公職から引退した。「鈴木貫太郎自伝」がある。

没年月日
昭和23年4月17日

家族
弟=鈴木 孝雄(陸軍大将) 長男=鈴木 一(日本馬事協会会長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「鈴木 貫太郎」の解説

鈴木 貫太郎
スズキ カンタロウ

明治〜昭和期の政治家,海軍大将 首相;枢密院議長。



生年
慶応3年12月24日(1868年)

没年
昭和23(1948)年4月17日

出生地
和泉国大鳥郡久世村(大阪府)

出身地
千葉県

学歴〔年〕
海兵(第14期)〔明治20年〕,海大〔明治31年〕卒

経歴
関宿藩(千葉県)領地の和泉国久世村(大阪府)の生まれ。明治27年日清戦争に対馬水雷艦隊長として参加、日露戦争にも出撃した。大正3年大隈内閣の海軍次官となり、シーメンス事件後の海軍粛正を行なう。海軍兵学校長、第二、第三艦隊司令長官、呉鎮守府司令長官などを歴任し、12年海軍大将となる。13年連合艦隊司令長官、軍事参議官を経て、14年軍令部長に就任。昭和4年予備役編入され、同時に侍従長兼枢密顧問官に任ぜられ、昭和天皇の側近に長く仕えた。11年2.26事件では反乱将校に襲撃され、ピストルの乱射を受けるが、一命をとりとめる。この年侍従長を辞任、同年11月男爵。15年枢密院副議長、19年議長。20年4月組閣の大命を拝受し、首相となる。同年8月15日、“天皇による終戦”“玉音放送”を演出し、同日内閣総辞職。同年12月から翌21年6月までふたたび枢密院議長を務めたあと、あらゆる公職から引退した。「鈴木貫太郎自伝」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「鈴木 貫太郎」の解説

鈴木 貫太郎 (すずき かんたろう)

生年月日:1868年12月24日
明治時代-昭和時代軍人;政治家。首相
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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