鈴鹿(市)(読み)すずか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴鹿(市)」の意味・わかりやすい解説

鈴鹿(市)
すずか

三重県中北部、伊勢(いせ)湾に臨む都市。1942年(昭和17)市制施行したが、市の成立は軍部と県の要請によるものであった。1937年鈴鹿海軍航空隊が白子(しろこ)町に設置され、その後周辺の村々に海軍航空工廠(こうしょう)、陸軍北伊勢飛行場、気象観測部隊、航空通信隊、陸軍病院などの施設が設立されたため、行政上の統一が必要となり、河芸(かわげ)郡神戸(かんべ)町、白子町と、稲生(いのう)、飯野(いいの)、河曲(かわの)、一ノ宮(いちのみや)、箕田(みだ)、玉垣(たまがき)、若松(わかまつ)村、鈴鹿郡国府(こう)、庄野(しょうの)、高津瀬(たかつせ)、牧田(まきた)、石薬師(いしやくし)村の2町12村が合併、市制を施行して鈴鹿市が成立した。1954年(昭和29)合川(あいかわ)、天名(あまな)、栄(さかえ)の3村を、1967年に鈴峰(れいほう)村を編入。市名は古代からの郡名に由来する。

 伊勢湾に臨み、海岸と内部(うつべ)川・鈴鹿川・中ノ川の沿岸に沖積地があり、古くから水田化され、条里制の遺構も残るが、市域大部分は鈴鹿山脈東麓(とうろく)に広がる開析扇状地と緩く起伏する丘陵地で畑地が広く、これが軍施設に利用された。JR関西本線、伊勢鉄道、近畿日本鉄道名古屋線・鈴鹿線、国道1号、23号、306号、東名阪自動車道が通じ、鈴鹿インターチェンジが設置されている。古代からの歴史は豊富で三角縁(さんかくぶち)神獣鏡を出土した赤郷塚、王塚古墳(国の史跡)、日本武尊(やまとたけるのみこと)の墓の伝説のある白鳥塚1号墳などがあり、国分町には伊勢国分寺跡(国の史跡)がある。白子は伊勢型紙や墨などの伝統工芸がいまに残る古い港であり、神戸には室町末期に城が築かれるなど、北伊勢の中心であったことが知られる。石薬師と庄野は東海道五十三次の宿駅で、旧街道に古い町並みを残している。第二次世界大戦後、軍施設跡を工場用地へ転換して、カネボウ(2002年工場撤退)、富士電機グループ(富士電機サーモシステムズ、富士電機機器制御)、本田技研工業などの工場を誘致、四日市に次ぐ工業都市となった。農業は、東部の低地で米作、西部丘陵で茶栽培や植木の生産が行われている。畜産も盛んである。また漁業は、白子、若松、鈴鹿の3漁港があり、ノリの養殖も行われている。西部丘陵には国際的な自動車レースコースをもつ鈴鹿サーキット(1962年完成)と遊園地がある。面積194.46平方キロメートル、人口19万5670(2020)。

[伊藤達雄]

『『鈴鹿市史』全5巻(1980~1989・鈴鹿市)』


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