鎌倉市(読み)カマクラシ

デジタル大辞泉 「鎌倉市」の意味・読み・例文・類語

かまくら‐し【鎌倉市】

鎌倉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「鎌倉市」の解説

鎌倉市
かまくらし

面積:三九・五三平方キロ

三浦半島の基部に位置し、南は相模湾に面し、北・東は横浜市、西は藤沢市、南東は逗子ずし市と接する。旧鎌倉郡の大半を占める。市の中心部は東・北・西の三方を標高一〇〇メートル前後の丘陵によって囲まれ、南は由比ゆいガ浜に面する、いわゆる旧鎌倉である。その北方・北西方、柏尾かしお川流域の大船おおふな深沢ふかさわを中心とする地域と、西方の腰越こしごえ地域は、ともにかつての旧鎌倉の周辺・境界部にあたり、合併して現在の鎌倉市を形成している。

〔原始・古代〕

市内における最古の遺物は、小袋谷の粟船こぶくろやのあわふね山で発見された先土器時代の刃器形石器であり、縄文時代の遺跡や遺物は北部の柏尾川流域で多く発見されている。弥生時代になるとゆき下南御門したみなみみかど遺跡で中期の住居跡が発見され、さらに後期になると遺跡分布も密になって、柏尾川沿いの丘の上に続々と集落が営まれた。なかには山崎の水道山戸やまざきのすいどうやまとさき遺跡のように、当時の南関東では珍しい鉄器や数点の青銅製品を出土し、かなりの有力者の存在を推定できる集落跡もある。やがて由比ガ浜海岸近くには、今は和田わだ塚とよばれている古墳群が造られた。その一つらしい采女うねめ塚からは優秀な作りの埴輪女子像や馬像が出土しており、この地域に中央と結んだ相当の政治勢力の存在したことを物語っている。

「古事記」景行天皇の段に、倭建命の子、足鏡別王が「鎌倉之別」などの祖とみえる。これを相模国の鎌倉と解するのが通説であるが、和田塚などの古墳は、あるいはこの豪族と関係があるのかもしれない。天平七年(七三五)閏一一月一〇日の相模国封戸租交易帳(正倉院文書)に従四位下高田王の食封として「鎌倉郡鎌倉郷参拾戸、田壱佰参拾五町壱佰玖歩、不輸租田弐拾玖町捌段壱佰玖歩、見輸租田壱佰伍町弐段、租壱仟伍佰拾捌束納官七百八十九束、給主七百八十九束」と記されているのが、確実な文献上における鎌倉の初見。鎌倉郷は鎌倉郡の中心地として郡衙も置かれていたと推定され、一郷三〇戸という古制を残すところから古い郷と思われる。「万葉集」には巻一四の東歌に「鎌倉の見越の崎の石くえの君が悔ゆべき心は持たじ」「まかなしみさ寝に吾は行く鎌倉の美奈の瀬川に潮満なむか」、同巻譬喩歌の相模国歌に「薪樵る鎌倉山の木垂る木をまつと汝が言はば恋ひつつやあらむ」など三首の鎌倉関係の歌を収める。美奈の瀬みなのせ川は稲瀬いなせ川、見越みこしの崎は稲村いなむらヶ崎の付近と想定されるから、当時の鎌倉郷は現在の鎌倉市中心部の西側一帯ということになろうか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鎌倉市」の意味・わかりやすい解説

鎌倉〔市〕
かまくら

神奈川県南東部の市。相模湾に臨む滑川の沖積地と,それを三方から囲む丘陵地からなる。1939年市制。1948年深沢村,大船町を編入。地名は鎌形に曲がった地形でクラと呼ばれる洞穴が多かったことに由来するとされる。治承4 (1180) 年に源頼朝が鎌倉に入ってから,元弘3=正慶2 (1333) 年北条氏が滅びるまで約 150年間,日本の政治の中心地であった。嘉禄1 (1225) 年以後,沖積地を南北に貫く若宮大路沿いに幕府の諸施設が造営され,南部の海岸寄りには商人街が成立し,現在の中心市街地のもととなった。丘陵には七つの切り通しが開かれ,交通と防備の便がはかられた。海岸には港が築かれ,諸国から船が集まり,中国の宋とも交易した。また鶴岡八幡宮建長寺円覚寺光明寺高徳院など多数の寺社が建立され,多くは戦乱で焼失したが再建されて,200寺 42社を数えるといわれる。温暖な気候,白砂の海岸とも相まって,江戸時代からは観光地となり,明治以後は高級別荘地。1925年の横須賀線電化以後は京浜の住宅地の性格が強まり,家並みが周辺の丘陵に広がっている。1966年中心地区は古都保存法の対象になった。寺社が集中し,各地に史跡,名勝がみられる雪ノ下,山ノ内,扇ガ谷 (おうぎがやつ) ,二階堂,長谷などは年間を通じて観光客が訪れる。鎌倉の大仏をはじめ,多数の国宝が所在。由比ヶ浜,材木座は首都圏の手近な海水浴場,七里ヶ浜はサーフィンの適地。北部の大船は工業地区,新興の商業地でもある。JR横須賀線のほか,JR東海道本線,江ノ島電鉄湘南モノレール,国道134号線が通る。面積 39.67km2。人口 17万2710(2020)。

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