長命寺(読み)ちょうめいじ

精選版 日本国語大辞典 「長命寺」の意味・読み・例文・類語

ちょうめい‐じ チャウメイ‥【長命寺】

[一] 滋賀県近江八幡市にある単立宗教法人の寺。もと天台宗。山号は姨綺耶山。聖徳太子の造営で、自刻の千手観音、十一面観音、聖観音の像を安置したのに始まると伝えられる。西国三十三所の第三一番札所。
[二] 東京都墨田区向島にある天台宗の寺。山号は宝寿山。寛永寺の末寺。円仁の開創と伝えられ、初め常泉寺と称したが、徳川家光が現在名に改めた。隅田川七福神の一つの弁財天をまつる。雪見の名所とされた。

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デジタル大辞泉 「長命寺」の意味・読み・例文・類語

ちょうめい‐じ〔チヤウメイ‐〕【長命寺】


滋賀県近江八幡市にある天台系の単立寺院。山号は伊綺耶いきや山。聖徳太子の創建と伝え、鎌倉時代に尊海が中興。西国三十三所第31番札所。
東京都墨田区向島にある天台宗の寺。山号は宝寿山。円仁の開創と伝え、初め常泉寺と称したが、徳川家光により現名に改められたとされる。雪見の名所。
東京名物の桜餅のこと。にちなむ。→桜餅

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日本歴史地名大系 「長命寺」の解説

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]近江八幡市長命寺町

長命寺山(三三三メートル)の中腹に南面し、琵琶湖が広く見渡せる景勝地にある。姨綺屋山と号し、もとは天台宗であったが、現在は単立寺院。本尊は千手観音。西国三十三所観音霊場の第三一番札所。寺伝では武内宿禰の開山で聖徳太子の創建と伝える。承和三年(八三六)に頼智(勧進聖か)により中興されたともいうが、長命寺山近辺の山々は奥津島おくつしま(奥島山)と総称され、山中には古くから大島奥津島おおしまおくつしま神社、同社神宮寺の阿弥陀寺(現廃寺)などがあり、おそらく奥津島山は古代のオキツスタエの霊地として古くから聖の止住する地で、やがて観音霊場となり、当寺草創を観音の化身とされる聖徳太子を創建者として付会したのであろう。その時期は鎌倉期と考えられ、この頃には太子信仰が認められる。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔太子信仰〕

正和三年(一三一四)一二月二□日の太子会料所寄進状(寺蔵文書、以下断りのない限り同文書)によれば、成栄房厳勢が相伝する船木ふなき荘一八〇歩の田地を太子会に寄進している。同寄進状によると、太子会は毎年聖徳太子御忌日に営まれ、これに参列や寄進することにより死者の往生や生者の後生安楽を聖徳太子に託そうとした。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]練馬区高野台三丁目

谷原山妙楽院と号し、真言宗豊山派。本尊十一面観音。北条氏規の家臣増島勘解由重明は、伊豆国韮山にらやま(現静岡県韮山町)の落城後、谷原やはらに退居して百姓となったが、のち弟左内重国の子新七郎重俊に家を譲り、入道して慶算と改め蓮中庵と号した。紀伊国高野山に入り修行、讃岐国弥谷いやだに(現香川県三野町)で空海自作の木像を得て谷原に持帰り、慶長一八年(一六一三)高野山に擬して一院(大師堂)を造り納めた。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]会津若松市日新町

西名子屋にしなごや町の西側の路地を少し入った正面にある。無量寿山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。慶長一〇年(一六〇五)甲賀こうか町に掛所として創立する。寛永二〇年(一六四三)保科正之会津転封のとき、長命寺と号した。寛文年中(一六六一―七三)境内が狭小なので、現在地に移転。門前の土塀の五本の白線は、別格本山を示す由緒あるものである。慶応四年(一八六八)八月二九日、会津藩は佐川官兵衛を主将として城外戦を展開、西軍の備州・大垣・土佐の三藩は長命寺に立籠って激しく応戦した。寺は激烈な修羅場と化し、会津軍は突進して一時は占拠したが、西軍は土佐藩の援軍によって再び長命寺を奪い返した。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]三和町間中橋 尾崎新田

尾崎新田おさきしんでん北部に所在。境内には銀杏の巨木が茂り、前面に水田が開ける。駒羽根山寿命院と号し浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。縁起によると正応四年(一二九一)九月に佐野天明が創建。天明は下野国安蘇郡佐野の城主で佐野善司家近と称したが、本願寺の覚如が関東巡教の際に帰依し、覚善の法号を得て当寺を建立したという。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]東部町大字禰津東町

真言宗智山派、智光山長命寺京都智積院末、本尊延命地蔵菩薩、開山は尊誉上人、天延三年(九七五)の創建と伝える。創建当時は、奈良原にあり密教の修行道場として栄え、その後鎌倉初期に現地へ移ったが、天文年中(一五三二―五五)兵火にかかり、灰燼に帰した。天正五年(一五七七)一二月武田勝頼条目(長命寺文書)によると、十二供脇坊の勤行を怠慢なく行うこと、寺中で竹木伐採殺生を禁ずる、寺家及び門前において新義真言を禁ずる、この三ヵ条を定め長命寺に申し渡している。

一時は真行寺地籍(現禰津東町)に一二の塔頭寺院を擁したが、元禄初期に荒廃した。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]長野市大字南堀

南堀みなみほり村の西端にある。浄土真宗、山号は足立山。本尊阿弥陀如来。

寺伝によると、開基の西念房道祐は越後国五智で親鸞の弟子となった。建暦二年(一二一二)親鸞の関東巡化に際して随侍し、武蔵国足立あだち野田のだに坊舎を建て、宗風を広めた。正応元年(一二八八)本願ほんがん寺三世宗昭覚如が東国巡回の時、一〇七歳で宗昭に謁し、寺号を長命寺と賜り、翌年三月一五日往生をとげた。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]佐久市大字大沢 城山

真言宗、蓮華山と号し、本尊大日如来。もと大沢の地家じけにあった。地家はもと寺家じけと記す。寺の東方野沢方面から長命寺に至る参道を大門だいもん道といい、片貝かたかい川に架かる橋を大門橋とよんでいる。

天正年間(一五七三―九二)兵火にかかって堂塔・伽藍は烏有に帰し、以後小寺となったという。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]柳川市出来町

出来でき町の西側にある。五台山と号し、天台宗。本尊は不動明王。元来は三池みいけ郡内にあった天台律の寺で、享保一七年(一七三二)覚城普光によって椿原つばはら小路に再興された。現在の所在地は柳川藩主立花貞俶の実母玉線院の隠居地であったが、玉線院没後この地を拝領した立花主水が長命寺に寄進し、延享三年(一七四六)当地に移転した。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]米沢市中央三丁目

井上山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、文禄二年(一五九三)信濃国水内みのち郡に創立。長命寺四世の善乗は上杉謙信に従い川中島の合戦に軍功があり、越後国三島さんとう郡に三町の寺領を受け、同地に長命寺を移したという。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]総和町下大野 原山

下大野しもおおの集落東部に所在。長井戸ながいど沼のヤト田を東に望み、周囲は畑と平地林。茅葺の山門を入ると本堂・庫裏がある。池向山法徳ほうとく院と号し真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によると寛喜三年(一二三一)に親鸞の弟子性信坊が開基したとするが、これ以前に寺は存在し、七堂伽藍を備えた天台宗の大寺であった。

長命寺
ちようめいじ

[現在地名]守山区白沢町

医王山と号し、臨済宗東福寺派。本尊薬師如来。古くは天台宗であった(東春日井郡誌)とも、無住(臨済宗)の開山(雑志)ともいうが、天正一二年(一五八四)の小牧・長久手の戦の兵火にかかって諸堂は焼失し、本尊薬師仏のみ溝中に残っていたので里人が草堂を営んでいたが、元禄一三年(一七〇〇)水野永重が堂坊を再興し、長母ちようぼ寺中興雪谿恵恭を開山としたが、嘉永年間(一八四八―五四)さらに寺堂を広げて、仁洲恵寛を中興開山に迎えた(徇行記)

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改訂新版 世界大百科事典 「長命寺」の意味・わかりやすい解説

長命寺 (ちょうめいじ)

東京都墨田区向島にある天台宗の寺。宝寿山遍照院と号する。寛永寺の末寺で,もとは常泉寺と称する庵室であったらしい。開山ならびに創建年次は不明だが,寺号が長命寺と変わった由来は,〈長命水石文〉という石碑によって知られる。それによると,寛永年間(1624-44)鷹狩りの途次,急に気分が悪くなった将軍徳川家光が当寺で休息,庭の井戸水で薬を飲んだところ,わずかのまに回復した。これより井戸水を長命水と名づけ,寺号も改めたという。桜餅で有名となり,かつては雪の名所としても知られた。境内には石碑が多く,十返舎一九,成島柳北などの碑とともに芭蕉の句碑もある。堂内に安置する牛島弁才天は隅田川七福神の一つで,観音は葛西三十三所観音の22番札所である。
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デジタル大辞泉プラス 「長命寺」の解説

長命寺

滋賀県近江八幡市にある寺院。天台系単立。開基は聖徳太子と伝わる。西国三十三所第31番札所。本堂、三重塔、本尊の木造千手観音立像などは国の重要文化財

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事典・日本の観光資源 「長命寺」の解説

長命寺

(滋賀県近江八幡市)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の長命寺の言及

【桜餅】より

…道明寺(どうみようじ)で皮を作るものもある。1717年(享保2)サクラの名所として知られた江戸向島の長命寺境内で,同寺の門番山本新六が売り出したのに始まるという。この長命寺の桜餅は大いに人気を集め,1824年(文政7)には塩漬の葉の仕入高は31樽,枚数でおよそ77万5000枚,1個に2枚ずつ使って,桜餅の数は38万7500個になると,《兎園小説》の中で屋代弘賢は書いている。…

※「長命寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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