長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(読み)ながさきとあまくさちほうのせんぷくきりしたんかんれんいさん

知恵蔵の解説

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

長崎と天草地方に点在する潜伏キリシタンに関する集落・城跡・天主堂などの文化遺産。長崎県7市町(長崎市、新上五島町他)の11遺産、熊本県天草市の1遺産から成る計12の遺産が、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録された。登録遺産は、島原半島の「原城跡」、平戸聖地と集落「春日集落と安満岳」「中江ノ島」、天草の「﨑津集落」(熊本県)、西彼杵半島西岸の外海の集落「出津集落」「大野集落」、各離島の集落「黒島の集落」「野崎島の集落跡」「頭ヶ島の集落」「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」「久賀島の集落」、長崎市の「大浦天主堂」。
潜伏キリシタンの時代は、16世紀末から19世紀まで。イエズス会のザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えたのが、1549年。肥前大村(長崎県)を治める大村純忠が最初のキリシタン大名となったことから、長崎は「日本の小ローマ」として布教の中心になった。しかし、1587年に豊臣秀吉がバテレン追放令を出すと一転、布教は禁止され、江戸幕府はより厳しい弾圧・迫害を続けた。こうした禁教下でも天草地方では、土着神道の信者や仏教徒を装いながら、ひそかにカトリックの信仰を守り続ける人々がいた。こうした信徒を「潜伏キリシタン」という。潜伏キリシタンは特定の集落に住み、教会の代わりに山(安満岳)や島(中江ノ島)を聖地とあがめたり、観音像をマリア像に見立てたりして、幕府の監視の目から逃れてきた。江戸時代の島原・天草一揆(1637年)の舞台となった原城跡を含め、こうした過酷な歴史を超えた信仰の継承が高く評価されている。
その後、江戸幕府は1858年に欧米諸国と安政五カ国条約を結び、宣教師の入国も半ば容認することとなった。しかし、明治時代になると五榜の掲示(1868年)で切支丹禁制を掲げるなど、再び禁教を強化。欧米諸国の抗議によって、1873年に禁教が撤廃されると、信仰を守り続けてきた天草の各集落に小さな教会が建てられ、長崎の大浦天主堂もゴシック洋式の大聖堂へと修築された。なお、明治時代の宣教師が伝えたカトリックとは一線を画し、潜伏時代からの信仰を今日まで継承し続けている信者のことを「カクレキリシタン」として区別することもある。国内の世界遺産としては、同じ北九州の「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群に続いて22件目となる。

(大迫秀樹 フリー編集者/2018年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

知恵蔵miniの解説

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

日本政府が2018年にユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産登録を目指す、長崎県から熊本県天草地方にまたがる資産群。17~19世紀の江戸幕府によるキリスト教禁教期に、既存の宗教や社会と共生しながら密かに信仰を守り続けた潜伏キリシタン独特の文化的伝統を示している。2世紀にわたって潜伏していたキリシタンが現れた「信徒発見」の場である大浦天主堂(長崎県長崎市)、島原・天草一揆の舞台となった原城跡(長崎県南島原市)、信仰を集めた平戸の聖地と集落(同県平戸市)、漁村独特の信仰を育んだ天草の崎津集落(熊本県天草市)など12の資産で構成される。18年5月、ユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)から世界文化遺産への登録を適当とする勧告を受けた。18年6~7月の世界遺産委員会における最終審査で正式決定する見通しとなっている。

(2018-5-8)

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