長暦(読み)ちょうりゃく

精選版 日本国語大辞典 「長暦」の意味・読み・例文・類語

ちょうりゃく チャウリャク【長暦】

平安時代後朱雀天皇の代の年号。長元一〇年(一〇三七)四月二一日、前年の天皇即位により改元、長暦四年(一〇四〇)一一月一〇日に長久元年となる。関白藤原頼通出典は「晉書‐杜預伝」の「乃耽思経籍、〈略〉作盟会図・春秋長暦、備成一家之学」。

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デジタル大辞泉 「長暦」の意味・読み・例文・類語

ちょうりゃく〔チヤウリヤク〕【長暦】

平安中期、後朱雀天皇の時の年号。1037年4月21日~1040年11月10日。

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改訂新版 世界大百科事典 「長暦」の意味・わかりやすい解説

長暦 (ちょうれき)

長い年月にわたっての暦日をまとめたものを長暦という。初めての幕府天文方に任ぜられた渋川春海は,《日本書紀》にある神武天皇以来貞享1年(1684)に至る暦日,すなわち全年の毎月の朔を計算し,その干支,月の大小,閏月などを記した《日本長暦》(1677)を著した。これが最初に著された長暦である。次いで会津の算学者安藤有益は1687年に《本朝統暦》を刊行した。期間は同じであるが日月食の推算までを加え,全部を宣明暦法によって計算した。さらに中根元圭は1714年(正徳4)《皇和通暦》を刊行した。元圭は自分ではほとんど計算せずに春海のものをそのまま借用したと考えられているが,その計算された暦日を史実によって修正している点が評価され,1880年《三正綜覧》が政府により編纂(へんさん)刊行されたときは《皇和通暦》が参照された。《三正綜覧》はさらに15ヵ所ほどの修正を史料により補うとともに,さらに中国の回々暦,太陽暦の暦日を併記してあり,明治以後歴史学者に多く利用された。しかし,《三正綜覧》には史料調査の不足,誤植が多く指摘され,1932年にはこれに若干補正を行った《年代対照便覧》が神田茂によって刊行された。しかし,これは使用法に難があり,あまり活用されなかった。75年,春海以来初めての暦日の洗直しが内田正男によって行われた。古来のそれぞれの時代に応じた暦法を用い,しかも計算そのものはコンピューターを用い,さらに明治以来の史料調査の成果を大幅に取り入れて《日本暦日原典》として刊行された。
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日本の元号がわかる事典 「長暦」の解説

ちょうりゃく【長暦】

日本の元号(年号)。平安時代の1037年から1040年まで、後朱雀(ごすざく)天皇の代の元号。前元号は長元(ちょうげん)。次元号は長久(ちょうきゅう)。1037年(長元10)4月21日改元。後朱雀天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『春秋(しゅんじゅう)』または『晋書(しんじょ)』を出典とする命名。長暦年間は、藤原頼通(よりみち)による摂関政治が行われていた。1036年(長元9)に後一条(ごいちじょう)天皇の崩御により、同母弟の後朱雀天皇が即位した。翌1037年(長暦1)には、頼通は養女の嫄子(げんし)を入内させ、中宮に立てている。

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普及版 字通 「長暦」の読み・字形・画数・意味

【長暦】ちようれき

長期の暦。

字通「長」の項目を見る

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