20世紀日本人名事典 「長谷川 テル」の解説
長谷川 テル
ハセガワ テル
昭和期のエスペランティスト,反戦活動家
- 生年
- 明治45(1912)年3月7日
- 没年
- 昭和22(1947)年1月14日
- 出生地
- 山梨県猿橋町(現・大月市)
- 別名
- 筆名=緑川 英子,Verda Majo(ベルダ・マーヨ)
- 学歴〔年〕
- 奈良女高師〔昭和7年〕中退
- 経歴
- 奈良女高師でエスペラントに熱中。昭和7年卒業前に思想問題で逮捕され、女高師を中退させられる。その後、エスペラント学会で奉仕活動に従事。傍ら「エスペラント文学」の創刊に参加。11年在日中国人劉仁と結婚、中国へ。12年日中戦争が勃発、エスペラントをもって中国解放を、という信念に従い、戦火の拡大につれ上海、香港、広東、漢口そして奥地の重慶へと苦難の道を歩む。この間、抗日反戦放送のアナウンサーとして活躍した。19年「たたかう中国にて」を刊行。敗戦後、上海を経て、内戦下の東北を目指し、佳木斯で活動したが、22年手術事故のため死亡。54年遺児の劉星、劉暁蘭が来日し話題になった。「長谷川テル作品集」(54年)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報