長谷川弘(読み)はせがわ・ひろむ

朝日日本歴史人物事典 「長谷川弘」の解説

長谷川弘

没年:明治20.10.7(1887)
生年:文化7(1810)
幕末明治期の和算家陸奥登米郡(宮城県)の農家に生まれる。本姓佐藤。初め千葉胤秀和算を学び,長谷川寛養子となる。寛の没後天保11(1840)年に長谷川道場を継ぐ。独自の研究家というよりは,寛同様に優れた啓蒙家である。著書の多くは門弟の名前で出している。弘化1(1844)年の『算法求積通考』は円理表(定積分表)を載せた円理の入門書としては完備したもので,彼の実力のほどを示している。弟子としては和算史家の岡本則録,幕府海軍の小野友五郎らが著名。<参考文献>日本学士院編『明治前日本数学史』5巻

(佐藤賢一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川弘」の解説

長谷川弘 はせがわ-ひろむ

1810-1887 江戸後期-明治時代の和算家。
文化7年生まれ。千葉胤秀(たねひで)にまなび,のち長谷川寛(ひろし)の養子となる。養父の没後,長谷川数学道場をつぎ,2代長谷川善左衛門を名のる。初代と同様におおくの弟子をそだてた。明治20年10月7日死去。78歳。陸奥(むつ)登米郡(宮城県)出身。本姓は佐藤。字(あざな)は子道。著作に「算法求積通考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の長谷川弘の言及

【長谷川寛】より

…江戸末期の数学者。初め藤次郎,後に善左衛門という。号は西磻,晩年は極翁という。塾を長谷川数学道場と名付け,内田五観の瑪得瑪弟加塾とともに,幕末の二大数学塾となった。弟子も多く,刊行された数学書も多数ある。子がなく,弟子の佐藤秋三郎篤信を養子とする。これが2代長谷川善左衛門弘(1810‐87)である。塾から出版された数学書の中で,《算法新書》(千葉胤秀編,1830),《大全塵劫記》(山本賀前編,1832),《算法地方大成》(秋田義一編,1837)はとくに有名で,なかでも《算法新書》は初歩から専門の分野に至る数学の集大成で,明治中期まで何回も改版され広く読まれた。…

【和算】より

…長谷川の業績中,変形法,極形法という方法は,ある図形を変形してもそこに成り立つ性質が不変である関係を利用して,複雑な図形の性質を単純化して関係式を導く方法で,《算法変形指南》(1820),《算法極形指南》(1836)にまとめられている。長谷川の塾は,養子の長谷川弘(1810‐87)のときにさらに発展した。一方,内田五観の塾は,瑪得瑪弟加(まてまてか)あるいは詳証館(しようしようかん)という。…

※「長谷川弘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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