長谷川 峻(読み)ハセガワ タカシ

20世紀日本人名事典 「長谷川 峻」の解説

長谷川 峻
ハセガワ タカシ

昭和・平成期の政治家 衆院議員(自民党;宮城2区);元・労相;元・運輸相;元・法相。



生年
明治45(1912)年4月1日

没年
平成4(1992)年10月9日

出生地
宮城県栗原郡若柳町

学歴〔年〕
早稲田大学専門部政経科〔昭和7年〕卒

主な受賞名〔年〕
モンゴル北極星勲章〔平成4年〕

経歴
昭和8年九州日報社に入り、10年編集局長。20年緒方国務相秘書となり、28年から衆院議員に13選。48年第2次田中改造内閣の労相、49年三木内閣の労相、57年中曽根内閣の運輸相を経て、63年竹下改造内閣の法相に就任したが、僅か4日で辞任。衆院議運委員長、党国民運動本部長などを歴任。平成3年の安倍派の跡目争いの際には、三塚博を会長に指名する“裁定”を行った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「長谷川 峻」の解説

長谷川 峻
ハセガワ タカシ*


肩書
衆院議員(自民党,宮城2区),元・労相,元・運輸相,元・法相

生年月日
明治45年4月1日

出生地
宮城県栗原郡若柳町

学歴
早稲田大学専門部政経科〔昭和7年〕卒

経歴
昭和8年九州日報社に入り、10年編集局長。20年緒方国務相秘書となり、28年から衆院議員に13選。48年第2次田中改造内閣の労相、49年三木内閣の労相、57年中曽根内閣の運輸相を経て、63年竹下改造内閣の法相に就任したが、僅か4日で辞任。衆院議運委員長、党国民運動本部長などを歴任。平成3年の安倍派の跡目争いの際には、三塚博を会長に指名する“裁定”を行った。

受賞
モンゴル北極星勲章〔平成4年〕

没年月日
平成4年10月9日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

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