長門市(読み)ナガトシ

デジタル大辞泉 「長門市」の意味・読み・例文・類語

ながと‐し【長門市】

長門

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「長門市」の解説

長門市
ながとし

面積:一五二・一七平方キロ

日本海に北面し、旧大津おおつ郡のほぼ中央部を割いて立地する。中心市街地は市の中央南の山地から、ほぼ真北に流れ出る深川ふかわ川の河口に展開する。東・南・西の三方は連峰に囲まれ、東は鉄割てつわり(四九〇・一メートル)によって大津郡三隅みすみ町に、東から南にかけて天井てんじよう(六〇二・二メートル)花尾はなお(六六九・一メートル)によって美祢みね秋芳しゆうほう町および美祢市に、またどうヶ岳(五八八・四メートル)一位いちいヶ岳(六七一・六メートル)によって豊浦郡豊田とよた町に、西は連峰によって大津郡油谷ゆや町・日置へき町に接する。北は仙崎せんざきの半島を境に東が仙崎湾、西が深川湾で、対岸には青海おうみ島が浮ぶ。

長門の名は国名によったもので、大化改新後置かれた穴戸あなと国が、斉明天皇七年頃に長門に変えられたとされる。

〔原始・古代〕

長門市域では現在のところ縄文時代および弥生時代の遺跡は発掘されていないが、東深川ひがしふかわ田屋たやには糘塚すくもづか古墳群がある。これは深川川の沖積低地の中央部にあり、古墳時代終末期のものとされる。また西深川の板持いたもちには近年白鳳期と思われる寺院跡が確認された。

古代の山陰道は石見国の伊甘いかむ(現島根県浜田市)で終わるが、それより西は「延喜式」にみえる古代の陰陽連絡路として、山陽道の厚狭あつさ駅(現厚狭あさ郡山陽町)に出る小路が設けられた。海岸線を通るこの道は、大津郡の三隅駅(現大津郡三隅町)を経て、現在の長門市街地(旧深川村)より深川川に沿って山道に入り、湯本ゆもと渋木しぶきと川上に進んで、真木の市尾まきのいちおより花尾山北東麓を峠越して美祢郡秋芳あきよし嘉万かま方面に抜けたらしい。

長門市
ながとし

2005年3月22日:長門市と大津郡油谷町日置町三隅町合併
【油谷町】山口県:大津郡
【日置町】山口県:大津郡
【三隅町】山口県:大津郡
【長門市】山口県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長門市」の意味・わかりやすい解説

長門〔市〕
ながと

山口県北西部,日本海に面した仙崎湾,深川湾,油谷湾に臨む市。 1954年仙崎町,深川町の2町と通村,俵山村の2村が合体して市制。 2005年三隅町,日置町,油谷町の3町と合体。中心市街地は,深川川流域の農業地帯を背景に市場町として発達。山陰本線の開通後は,美祢線との交差点となり急速に発展した。仙崎は北浦地域の代表的漁港で,水産加工場や漁網工場などがある。特産はかまぼこちくわ。平野部や丘陵地では米,野菜,果樹などの栽培が行なわれる。中部の渓谷長門湯本温泉萩焼の深川窯,大寧寺,山間俵山温泉がある。市域北部の青海島は国の名勝および天然記念物で,島内には大日比のナツミカン原樹 (国指定史跡および天然記念物) ,鯨墓 (国指定史跡) などがある。海岸一帯は北長門海岸国定公園に,北西部の油谷湾一帯は西長門海岸県立自然公園に属する。国道 191号線,316号線,491号線が通じる。面積 357.31km2。人口 3万2519(2020)。

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