間野 遺秉(読み)マノ イヘイ

20世紀日本人名事典の解説

間野 遺秉
マノ イヘイ

明治・大正期の教育家 留心学校創設者。



生年
安政2年1月22日(1855年)

没年
大正10(1921)年12月7日

出生地
豊前国中津(大分県)

経歴
もと豊前中津藩士で、留心斎、龍津と号す。藩儒・手島物斎・橋本塩巌に漢籍を学び、明治7年宇佐郡四日市小学校教授試補として2年余り在職。10年上京して二松学舎に入り、三島中洲に学び、のち同塾長、12〜15年慶応義塾の漢学教師を務める。16年宮城県中学校一等助教諭、のち太政官判任御用掛、法制局属などを経て、19年郷里・大分に帰り自宅の中津鷹匠町に私立・留心学舎(間野塾)を創設して漢文を教える。傍ら、私立豊州学館の経営と教授を兼務。30年杵築中学校の教授心得となるが、37年には留心学舎に帰り、再び学校経営を続けて文部省の許可を受ける。40年教員養成部を新設し、43年優等卒業生は大分県知事より尋常小学校准教員の検定許可の特典を与えられ、44年中津町から金谷小学校の校舎を貸与され留心学校と改称した。専ら育英を天職として子弟の教育に貢献し、没後の大正14年同校は嗣子・一三により文部省の許可を受けて大分県留心中学校と改称された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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