関 鑑子(読み)セキ アキコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「関 鑑子」の解説

関 鑑子
セキ アキコ


職業
声楽家 合唱指導者

専門
ソプラノ

本名
小野 鑑子

生年月日
明治32年 9月8日

出生地
東京

学歴
東京音楽学校声楽科〔大正10年〕卒

経歴
立花ふさ、ハンカ・ペツォールドに師事し、ソプラノ歌手になったが、大正末期からプロレタリア芸術運動に参加、15年新劇俳優の小野宮吉と結婚。昭和4年プロレタリア音楽家同盟にも参画し、初代委員長。昭和初期に弾圧されて一時消滅。戦後の23年中央合唱団を創立、26年音楽センター主宰者になって“うたごえ運動”を展開。コーラスによる平和運動として全国的規模に広がり、29年には3万人大集会に発展した。関鑑子編著のテキスト「青年歌集」は隠れたベストセラーになる。この運動の余波として東京・新宿を中心に“うたごえ喫茶”や“うたごえ酒場”が繁盛した。31年国際スターリン平和賞(のちの国際レーニン平和賞)を受賞。41、45年の国際チャイコフスキー・コンクール声楽部門の審査員を務めた。

受賞
国際スターリン平和賞〔昭和31年〕

没年月日
昭和48年 5月2日 (1973年)

家族
夫=小野 宮吉(俳優),弟=関 忠亮(バス歌手),妹=関 種子(ソプラノ歌手)

伝記
うたごえに生きて―中央合唱団1期生・奈良恒子 奈良 恒子 著(発行元 東銀座出版社 ’07発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「関 鑑子」の解説

関 鑑子
セキ アキコ

大正・昭和期の声楽家(ソプラノ),合唱指導者



生年
明治32(1899)年9月8日

没年
昭和48(1973)年5月2日

出生地
東京

本名
小野 鑑子

学歴〔年〕
東京音楽学校声楽科〔大正10年〕卒

主な受賞名〔年〕
国際スターリン平和賞〔昭和31年〕

経歴
立花ふさ、ハンカ・ペツォールドに師事し、ソプラノ歌手になったが、大正末期からプロレタリア芸術運動に参加、15年新劇俳優の小野宮吉と結婚。昭和4年プロレタリア音楽家同盟にも参画し、初代委員長。昭和初期に弾圧されて一時消滅。戦後の23年中央合唱団を創立、26年音楽センター主宰者になって“うたごえ運動”を展開。コーラスによる平和運動として全国的規模に広がり、29年には3万人大集会に発展した。関鑑子編著のテキスト「青年歌集」は隠れたベストセラーになる。この運動の余波として東京・新宿を中心に“うたごえ喫茶”や“うたごえ酒場”が繁盛した。31年国際スターリン平和賞(のちの国際レーニン平和賞)を受賞。41、45年の国際チャイコフスキー・コンクール声楽部門の審査員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「関 鑑子」の解説

関 鑑子 (せき あきこ)

生年月日:1899年9月8日
大正時代;昭和時代の声楽家;合唱指導者。国際チャイコフスキー・コンクール声楽部門審査員
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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