精選版 日本国語大辞典 「阿房宮」の意味・読み・例文・類語
あぼう‐きゅう アバウ‥【阿房宮】
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中国で最初の統一帝国を建設した秦(しん)(前221~前207)の宮殿。秦の都は統一前の孝公12年(前350)以来、渭水(いすい)北岸の咸陽(かんよう)(現在の咸陽市の東)に置かれていたが、始皇帝が天下を統一した紀元前221年に大規模な拡張工事が開始された。翌年には渭水の南の信宮を天極に、また北の咸陽宮を営室(ペガスス座)に見立て、両者を銀河にあたる渭水に架橋することによって直結しようとする大計画が掲げられた。そこでまず着手されたのが前殿としての阿房宮である。阿房の名称の由来には、咸陽に近い宮殿(阿は近い意)としたり、形が四方に広がっている宮殿(阿は広がる意)の意とするなど諸説がある。その規模は『史記』によれば、東西500歩(約690メートル)、南北50丈(約115メートル)、その上には1万人が座ることができ、下には5丈(約11.5メートル)の旗を立てることができると伝えられる。近年の発掘調査では大規模な版築の土台が確認されているが、阿房宮を含めて渭水の南北にまたがる咸陽城の全貌(ぜんぼう)が明らかになるのはまだ先のことであろう。
[鶴間和幸]
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…咸陽には200棟もの宮殿が建てられた。最大の阿房宮は今も東西700m,南北150mの壮大な土壇を残す。1974年発掘の1号宮殿址は31m×13mの版築土台を心とした3層の建物が復元されている。…
…外政に関しては,前215年に蒙恬(もうてん)を将軍として匈奴を討ち,万里の長城を築いて異民族の侵入を防ぎ,南は華南一帯を領土に収め,また東方の朝鮮にも軍隊を進めて東アジアにおける最初の大帝国を築きあげた。秦帝国を完成した始皇帝が,皇帝としての威厳の象徴として造営したのが〈阿房宮〉と〈驪山陵(りざんりよう)〉(始皇陵)である。1万人が座ることができるとされた広大な規模の阿房宮前殿は,現在長安の北西にその土壇の遺跡をとどめ,また長安の東,臨潼県付近には,始皇帝の陵墓である驪山陵が残っており,ともに空前の大土木工事のよすがをとどめる。…
※「阿房宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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