改訂新版 世界大百科事典 「阿部重孝」の意味・わかりやすい解説
阿部重孝 (あべしげたか)
生没年:1890-1939(明治23-昭和14)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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教育学者。新潟県に生まれる。1913年(大正2)東京帝国大学文科大学卒業。同大学副手、助教授などを経て、1934年(昭和9)教授。1923年のサンフランシスコ万国教育会議に出席し、引き続き滞留してアメリカの実証的教育研究方法を吸収。当時主流であった哲学的、思弁的教育学を排し、教育事実を対象とする実証的教育学を構築した。その門から多くの教育学者、教育制度・行政学者を輩出。教育関係の各種委員を委嘱され、また近衛文麿(このえふみまろ)をバックにした教育改革同志会の主要メンバーでもあった。主著に『欧米学校教育発達史』(1930)、『教育改革論』(1937)などがある。
[尾崎ムゲン]
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