陸九淵(読み)りくきゅうえん(英語表記)Lù Jiǔ yuān

精選版 日本国語大辞典 「陸九淵」の意味・読み・例文・類語

りく‐きゅうえん ‥キウエン【陸九淵】

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デジタル大辞泉 「陸九淵」の意味・読み・例文・類語

りく‐きゅうえん〔‐キウエン〕【陸九淵】

[1139~1192]中国、南宋の思想家。金渓(江西省)の人。あざなは子静。号、存斎そんさい象山しょうざん先生と称される。心の内省を重んじて「心即理」説を唱え、朱熹しゅきの「性即理」説と対立する一派をなした。その思想は王陽明に継承され、陽明学の源流となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「陸九淵」の意味・わかりやすい解説

陸九淵 (りくきゅうえん)
Lù Jiǔ yuān
生没年:1139-93

中国,南宋の思想家。字は子静。象山(しようざん)先生と呼ばれ,陸象山の称でも知られる。江西省金谿(きんけい)の人。その家は第8世の祖に唐の宰相陸希声を出した名門であったが,祖父の代になって没落し,暮しに困って薬を商った。この陸家は,何世代もの人々が仲むつまじく同居すること200年といわれた大家族であり,家事や生産は族人の分担によって行われ,1242年(淳祐2)には朝廷から表彰されている。陸象山はこのような家庭に6人兄弟の末っ子として生まれたが,第4兄の陸九韶(りくきゆうしよう)(梭山(さざん))は朱熹(しゆき)(子)と親交があり,第5兄の陸九齢(復斎)も名のある学者で,この復斎と象山は〈江西の二陸〉と並称された。

 象山は子どものころからどっしりして大人びたところがあり,すでに4歳のときに,天地はどこにきわまるかという疑問を抱き,思いつめて寝食も忘れたといわれる。そして13歳のとき,古典を読んでいて〈宇宙〉の2字に行きあたり,その注釈に〈四方上下を宇と曰(い)い,往古来今を宙と曰う〉とあるのを見,忽然(こつぜん)として天地の無限性を悟り,〈宇宙内の事はすなわち己(おの)が分内の事,己が分内の事はすなわち宇宙内の事なり〉と書き記したという。ここには,客観世界を主観(心)のなかに取りこんでしまう,のちの象山哲学の骨組みがすでに先取りされている。34歳で科挙に合格したあと,地方官や中央官を歴任したが,49歳のとき,江西省貴渓の応天山を象山と命名してそこに精舎(塾のようなもの)をひらき,多数の学徒とともに講学に励んだ。53歳のとき,湖北省の荆門軍へ知事として赴任したが,翌年,その宿痾(しゆくあ)であった肺結核のために任地で没した。

 彼は朱熹のように〈心〉に分析を加えず,その生き生きとはたらく当体をただちに〈理〉とみなし(心即理),後天的にこびりついた利欲を除去して〈本心〉の輝きを回復せよと説いた。したがってその修養法は,朱熹のいう読書を主とする〈窮理〉のような,煩瑣(はんさ)な手続きを必要としない〈易簡〉なものであった。また,〈宇宙はわが心,わが心は宇宙だ〉と言い,〈この理は宇宙に充塞(じゆうそく)する〉と繰り返し語っているように,彼にあっては〈心〉と〈理〉と〈宇宙〉とは一体のものであった。このような陸学は同時代の朱子学とあい容れず,両者はたがいに激しく応酬しあったが,北宋程顥(ていこう)(明道)から謝良佐(上蔡)をへて陸象山にいたる〈心即理〉の思想は,明の王守仁陽明)の出現によって大きく開花することになる。
朱子学 →陽明学
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「陸九淵」の意味・わかりやすい解説

陸九淵
りくきゅうえん
(1139―1192)

中国、南宋(なんそう)の思想家。江西省金渓(きんけい)の人。字(あざな)は子静(しせい)、号は存斎、象山(しょうざん)先生と称された。兄の九齢(復斎)とあわせて江西の二陸といわれ、朱子と思想的に対立した。象山の思想は、人間の本心である徳性をしっかりと保持し、利欲に惑わないことを第一とした。朱子が経書(儒教の古典)をよく読み、知的に深めていくことを重視したのに対し、象山は本心に基づく道徳的実践を重視した。人はみな、古来の諸聖人と同じ心を生まれつき保有していて、しかも道徳的な判断力や感覚、すなわち「理」をもっている。心が理を備えていることを「心即理」といった。心に内在する天理を信じ、これに従って行動することを強調した結果、儒教古典としてたいせつな六経(りくけい)でさえも「我が心の注脚」とみるようになった。経書に注釈を書くことに努めた朱子とはこの点が対立する。象山と朱子はしばしば手紙で論争し、1175年には江西省の鵝(が)湖で会見したが意見は一致しなかった(鵝湖の会)。朱子は象山を、学問を軽んずる実践主義者と評し、象山は朱子を、実践を軽んずる知的博学主義と評した。象山の門下の楊簡(ようかん)(慈湖)は、やがて静坐(せいざ)主義となり、禅思想とも似てきた。元(げん)代になると朱陸折衷の学風がおこったが、明(みん)代中期に王陽明(守仁(しゅじん))は、象山の「心即理」の思想を認め、そこから「致良知」という新しい思想を生み出し、朱子学を批判する陽明学となった。

[山下龍二 2016年2月17日]

『友枝龍太郎他編『陽明学大系 第4巻 陸象山 上』(1973・明徳出版社)』『高瀬武次郎著『陸象山』(1924・内外出版)』『三島復著『陸象山の哲学』(1926・東京宝文館)』『山下龍二著『陽明学の研究 上』(1971・現代情報社)』

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百科事典マイペディア 「陸九淵」の意味・わかりやすい解説

陸九淵【りくきゅうえん】

中国,南宋の儒者。字は子静。陸象山とも。江西省の人。心即理の主観的唯心論を唱え,朱熹(朱子)の性即理,天理人欲説に対抗,周敦頤(濂渓)の《太極図説》をめぐって朱熹と激しく論争した。
→関連項目儒教心学

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「陸九淵」の解説

陸九淵(りくきゅうえん)
Lu Jiuyuan

1139~92

南宋の学者。号は象山(しょうざん)。撫州(ぶしゅう)金渓(きんけい)(江西省金渓県)の人。朱熹(しゅき)の理気説の主知主義に反対して唯心論を唱え,宇宙本体の理は個人の心であり(心即理),心をさぐれば理が見出せると説いた。座禅修養を勧め,明の陽明学に影響を与えた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陸九淵」の意味・わかりやすい解説

陸九淵
りくきゅうえん

陸象山」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の陸九淵の言及

【易】より

… 易は未来を占うものだが,名をつける際に卦を立てることもある。また,南宋の陸九淵(象山)は地方官であったとき,冬に雪が降らないのでその年の凶作を心配し,乾の卦を描いて堂に掲げ,香花を供えて雪を祈ったといわれる。また,易占によって射覆(せきふ)(おおいの中身をあてる透視術)をし,易者の力くらべをする座興も行われた。…

【心即理】より

…中国哲学の用語。言葉としては,北宋の契嵩(かいすう)や程頤(伊川)も使用しているが,特定の哲学的立場を象徴的に明示するためにとくに心即理と表現したのは南宋の陸九淵(象山)である。朱熹の性即理に対する反措定として主張したのである。…

【中国思想】より

… 同じ南宋に,朱子学に対立する思想家が生まれた。それは朱子と同時代人の陸九淵(象山)である。両者の立場の相違は,人間の心の見方の違いから始まる。…

※「陸九淵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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